2015.11.12(木)

お酒と和食と 和食居酒屋 遊人

こちらの求人は募集が終了しました。
ご応募ありがとうございました。

遊人

「近所の町会の方が、休みの日に無理やり宴会組んでくれたり、ほんとに感謝ですよね。毎年、毎週、必ず使ってくださる方がいる。ほんと人に情けなく助けられて来て、この町ではそうゆうところではだいぶ生かされてきましたよね。」

墨田区太平にある「和食居酒屋 遊人」は、オープンして7年が経つ。
あんこう鍋やすっぽんといった珍しいメニューから、新鮮な魚介類や品揃え豊富な日本酒を提供し、根強い常連客が多い地元に愛される店だ。

遊人

だが、固定ファンが増える一方で固定スタッフには恵まれない。
入れ替わるスタッフの教育や日々の人材確保で、お店を開けられない日もあるそうだ。

本格的な和食を多くの方に気軽に楽しんで欲しい。その想いだけでただがむしゃらにやってきたお店を、もう一度スタッフと一緒に作りあげていきたい。みんなのお店になって欲しい。

7年目を迎えたこのお店で、8年目、9年目と本気で腰を据えてお店を盛り上げていってくれる志あるスタッフを募集しています。

遊人

2008年9月にオープンした和食居酒屋 遊人は、錦糸町駅から歩いて徒歩5分ほど。錦糸町と東京スカイツリーとのちょうど間くらいだ。4つ目通りと呼ばれる大きな通り沿いにあり、駅から離れてはいるが賑やかな場所だ。

1階の中華料理屋の脇の階段を上がると、遊人はある。
灯籠が並ぶ階段と暖簾は小料理屋のような雰囲気を醸し出している。

遊人

店内は、最大収容人数45人。
この広さからするとかなり少ない方だろう。

椅子は幅のある大きな物を使い、席と席の感覚が広めに取られている。
お客さんの大半は常連さんで、そんな大切なお客さんにのんびりと過ごしてもらえるようにとの気配りが感じられる。

遊人

ランチが終わり一段落する昼過ぎに、お店に伺った。
ちょうど最後のお客さんを送り出した杉野勇さんが、片付けをしている手を止めて迎えてくれた。

今回の募集についてお話を聞かせてもらう。

「今は、その日ごとに派遣のバイトさんに手伝ってもらっていて、固定の従業員がいないままでやって来てしまったから、働きにくいし、客数も減ってるし、サービスも遅れていて、全てが後手後手になっています。やっぱり固定されてない人材で動いてるから、ちょっとした知識が追いついていかないですよね。うちらでは分かってることが当日来る人たちでは分からないし。毎回毎回同じことを説明しないといけなくて、一時的しのぎなんですよね。」

「今回募集する方はホールがメインになりますが、お客さんに手紙を書くとかネットでの地道な販売促進というような作業もあって、やらないといけないことがたくさんあります。これまでは人がいないからやらない。やれないからやらないようになってしまっていました。」

現在、スタッフは杉野さんを入れて2人。もう1人の方もつい先日入ったばかりで、それまではずっと固定のスタッフはおらず、その都度募集をかけては派遣の方に手伝ってもらいながら、繋いでいる状態だったそうだ。

遊人

どんな方を求めてますか?

「雰囲気と機転が利く人ですね。会って話してみたらうちでも大丈夫かなってのは雰囲気で感じますよね。」

「あとは、お店をやっていくうえで、自分たちで僕たちで私たちで俺たちでお店をよくして行こうぜってそうゆう起爆剤になれる人。働いてる人もお客さんも全員が達成感のあるようなお店にしていきたいと思っています。」

遊人

お店は2階、駅からも近いわけでもない。
数ある居酒屋の中で、このお店をお客さんが選ぶ魅力ってどこなんだろう。

「海鮮系とかちょっと変わった料理が出てくるところですかね。すっぽんとかあんこうとか。うちは開店当初から鍋で攻めていて、『あんこう鍋屋さん』って部分を定着させたんですね。」

「あとは、材料にはこだわるようにしています。自分が食べる物という意識で作るので、人が食べる物、自分が食べる物は尚更気をつけると思うんですよね。変な物は出せないですよね。というか、変なものにならないようにしています。」

「ただ、産地はここですとか、こだわってますとかって宣伝文句を言った方がいいってよく言われるんですが、元々そうゆうのって苦手なんですよね。当たり前のことってそんなに口に出して言わなくていいんじゃないかって。」

必ず食べて欲しいメニューは?

「せっかくだからお刺身をちゃんと食べてもらいたいですよね。特にマグロなんていいの使ってますから。あとはちょっと手の込んだものを冒険して食べて欲しいです。アンコウ鍋って高いって概念あると思うんですけど、ボリュームを考えるとうちは安いですよ。まあ、それを判断するのは僕じゃないですけどね。高いと言われれば高いでしょうし、知ってる人から見ればこの値段でいいのかっていう人もいるし。」

遊人

杉野さんは42歳で、生まれは新潟。
このお店を出す前から長年ずっと料理人の道を歩んで来た。

「前は、赤坂の偉そうな料理屋にいました。料理人には、なりたくてなったわけではなくて、小さい頃に手先が器用だから料理とかやったらいんじゃないの?って言われて、志が全くないまま調理師学校に行きました。でも、行ってみたら洗脳されやすいタイプみたいなんですね(笑)いつの間にか料理界に入るようになって。」

「石の上にも三年って言葉があるじゃないですか。親からも家に帰って来るなってよく言われてて、最初のお店では三年間は必死で働こうとそんな風に思ってました。入ったのは16歳のことで18歳まではうだつが上がらなくて、それからようやく物事を理解しだして最終的には少しポジション的にはいいところまで登れました。」

そこを一旦辞めてフリーの料理人として様々な経験を積み、27歳でお店を1店舗任されて料理長をするまでになったそうだ。

「そこからマネジメントできるような料理人になろうと思って、常にお店を開くシュミレーションをしていましたね。」

その後、銀座の友達の寿司屋で職人として働いた後、
ようやく35歳の時にこのお店をオープンした。

遊人

自分でお店を出すというのは、昔から考えていたのでしょうか?

「お店やるとかほんと思ってなかったです。料理人やってる時で十分暮らせてたので。それにこの場所は、前やってたお店が半年で閉まった場所ってことも知ってたし、2階で立地的には不利なのでどちらかと言うとお店を出すことには、後ろ向きだったと思います。」

借金もたくさんしてオープンさせた店が、ようやく黒字になったのは2年くらい経った頃だったそうだ。

遊人

ここで働く魅力は?

「ここなら珍しいお客さんが来るのでそういった出会いがあることと、お店を知ってくれてるお客さんが多いので従業員も接客はしやすいってところじゃないでしょうか。」

「逆にやりづらさで言えば、料理がちょこちょこ変わるところですかね。メニューに書いてあっても漢字読めなかったり。変わってないように見えて以外にちょこちょこ変わってたりもして、前の日に考えてなかったことを今日いきなりやったり。働く人間は大変かもしれないですよね。アドリブがきいてなんぼだったりするので。」

居酒屋のランチメニューは、頻繁にメニューが変わるイメージがあるが、それは作り手側のエゴでもあるそうだ。

「作り手側の意志もあるんですよね。同じ物を安定的に美味しい物でって言うのは、あって然るべきだと思っています。毎日来てくれるお客さんばかりじゃないので、たまに来てこないだ食べたあれが食べたいってお客さん多いと思うんですよ。だから、定番は除いてメニューが変わるのは料理人のエゴで、作ってる人が飽きちゃうんですよ。」

遊人

メニューにない料理を作ることも?

「お客さんにこれ作ってって言われて、できる状態だったら作ることもあります。だから、けっこう無茶ぶりする方も多いですよね。1000円で作れとか、もっとひどかったのは本物のチキンライス作ってくれって。土鍋でじっくり時間かけて作りました(笑)まあ、うちは暇でゆとりがあってってのもあるんですよね。元々、夫婦二人でやって行こうとしていて『暇なお店』ってコンセプトでもありましたし。」

遊人

地域との関わりも強く、区内で行われるイベントへは積極的に参加されている。
地域の活動に参加されるようになったきっかけは?

「元々、地域の方たちとは僕はずっとお神輿を担いでいて、そこからの繋がりですね。お店が続く限りはイベントには出ようと思ってますよ。」

イベントに出るにはお店を休まないといけない。
そうまでして参加されるのは、どうしてでしょうか?

「楽しいからじゃないですかね。下心はないですね。商売につながるとかも考えてないですね。結果、一人でも『あの時いたね』って言ってくれる人がお店に来てくれたらそれはそれで楽しいかな。ぶっちゃけイベントでは儲からないですからね。」

遊人

印象的だったお客さんっていらっしゃいますか?

「この町会の人たちじゃないですか。祭りの時に来てくれて『みんなに顔広めよう』って神輿担ぎに誘ってくれて。その頃は、子供が小さくて抱っこして仕事してたのもあって、町の人がそれを見て応援してくれてそれで生き延びれたのかな。すごい繋がりですよね。」

常連さんが多く働きやすい反面、そういったことで失敗したこともあるそうだ。

「仲良くなりすぎて、どっちの感覚も狂い出すってこともあるんじゃないでしょうか。親しき中にも礼儀ありってやつで、礼儀を踏まえてやってきたつもりでも相手には好感触がなくなってきて人が離れたりとか。」

遊人

たった一人の従業員の鈴木さんにもお話を聞いてみる。

鈴木さんは、29歳。3年ほど前にもここで働いていて、一度は離れて違うお店だったり、飲食以外の仕事をしていたこともあったが、やはり飲食業界でそしてここで働きたいと、今月戻ってきたそうだ。

もう一度ここで働こうと思った理由は?

「なんとなくですが、前とはお客さんがちょっと変わったような感じがしますが、誰と何をやりたいかって考えた時に、やっぱりそれがここだったって感じすね。」

遊人

鈴木さんから見て、杉野さんは?

「うるさいっすね!いい人ですけど、細かくて口うるさい。でも、知らないことばっかり知ってるので、すごい勉強になりますね。面倒見も良くて、すごい可愛がってもらってます。」

「一人暮らししてた時は、仕事の後は毎日飯に連れてってもらってました。ちゃんと頑張ってる子には、最後まで面倒見てくれる人ですね。」

鈴木さんは、どういった方と働きたいですか?

「一緒に目標掲げてくれる人がいいですね。何かやりたい目標を持ってて、同じ温度で働ける人っすね。」

鈴木さんもゆくゆくは自分のお店を出すことが目標で、杉野さんから日々色んなことを吸収しながら、次に繋げていこうしている。

遊人

今後のお店の目標は?

「みんなの笑顔が絶えない、お客さんと向き合って接客できるお店ができたらいいですね。うちはお酒とか難しい物をたまに売ったりしてるから、気難しいお店みたいに見えるかもしれないけど、気難しい雰囲気でやるつもりは全くなくて、分からないものがあれば聞いてくれれば教えるし、共有がちゃんとできて、みんなが物事をちゃんと知ってくれればいいなと思います。」

「僕もまだまだ知らないことがいっぱいありますしね。今は自分でお店をやっちゃってるから、周りをそんなに見に行けないから、新しい人が入ってくれれば僕も新しい事を得る機会を得られますし。そしたら、僕が口出さなくてこうゆうことができるんですよこうゆうことしましょうよってことが出てきて、新しい形で伸びていくのが大事かなって。」

遊人

杉野さんと話をしてみて、よくしゃべる人だという印象を受けた。
でも、そのことについてこんな風に話してくれた。

「僕はよくしゃべるんですけど、人と接するのって実は苦手なんですよ。人に何かしてもらうのも苦手ですし、敵を作ることも多いし、初めて来た人には怖い人だって言われます。でもよくしゃべるのは、自分が殻に閉じこもらないためでもあるんです。人にしゃべりかけられたらしゃべり返す、みんなに気軽に話してもらえるようにするのも大事かなと。」

「だから、従業員に指示するのも苦手ですね。自分だったら上から色々言われたら嫌ですもん。ある程度任せつつ最終的に教えていけばいいのかなって。そこに100%は求めていませんよ。」

会社から言われたことだけをして、何をやるにしても自分の言葉で言えないようだとお互いにひずみが出てしまい、結果どんどん辞めてしまう。杉野さんもこのお店を始めた頃は、はっきりとした考えがなくそういったことがあったそうだ。だからこそ、ここで働く人には自分の言葉で物事を言えるように、自分で考え行動して欲しいそうだ。

杉野さんと鈴木さんと一緒にお店を作っていきたい方、
ぜひ挑戦してみてください。

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