当たり前を支える 日本橋梁工業株式会社
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わたしたちの生活を、便利でより豊かにする高速道路や橋梁の上では、毎晩どこかでメンテナンス工事が行われています。そんな危険と隣り合わせの現場では、人知れずたくさんの人の安全と快適さを守り続けてくれている人たちがいます。
「車線規制で渋滞が発生すると、怒鳴られたり、物を投げつけられることもあります。でも、そんな場所で車が安全に走れるように一生懸命働いてる人がうち以外にもたくさんいて、その中には若い人もいることを世の中に分かってもらいたい。認めてもらいたいとは思いませんが、この仕事を理解してもらいたいです」
高速道路や橋梁を作る場合、床版同士を繋げる『ジョイント』と呼ばれるものが不可欠です。これがあることで、初めて道路や橋を架けることができ、そして日々メンテナンスをし続けることで、車が安全にその上を走ることができます。
そうした道路上の危険を守り、人々の生活に欠かせない大切な部分を担う会社で、一緒に働いてくれる『営業職』と『現場土木作業職』を募集します。
日本橋梁工業株式会社は、ジョイント(道路橋梁用伸縮継手装置)の開発、製造、販売、施工までを手がける会社です。
お話を聞くために伺ったのは、墨田区堤通にある本社工場。
ジョイントとは、橋や高速道路の床版同士を繋げるものです。床版(橋桁)は、ある程度の長さでしか作れないのと、気温の変化で伸び縮みをするため、繋げて施工することができません。そのため、床版同士の間に空いた隙間を塞ぎ、伸縮にも対応しながら平坦性を保つことで、その上を車が安心して通れるように解決するのがジョイントの役目です。
これだけを扱うメーカーは、全国に数十社ほど。さらにこの規模の会社は数社しかなく、設備投資などを考えると参入障壁が高い。既存メーカーが強く、競合が少ないことは会社の強みの一つだそうです。
このジョイントを独自に企画し、協力工場さんを使って製造、開発、そして全国へ販売するだけでなく、羽田基地に常駐する工事部隊が、首都高速道路を中心に施工までを行っています。
本社工場では、3階の営業部が企画や販売などを行い、1~2階の資材置き場兼作業場では、商品の管理から検品、加工、出荷までを驚くことにたった1人で行っているそう。
現場で使う材料は、そのままのサイズで使えない場合、予め加工や調整をここで行っておきます。これにより現場で加工をする手間がなくなり、工事者の負担が軽減されたそうです。
日本橋梁工業株式会社は、福島県の出身だった初代社長の菊地 正弘さんが、東京へ道路工事の仕事で出稼ぎへ来たことが始まりでした。
正弘さんが『菊地工業所』を立ち上げ、その後、現社長の菊地 義弘さんが、事業を継承され1978年8月に『日本橋梁工業株式会社』として法人化。会社を引き継ぐにあたり長く継続できる事業として、当時主流だった海外製ジョイントに目をつけられました。
海外製品は、全て壊さないと取り外せず、工事者に大きく負担がかかっていました。こうして考えられた、ボルトを緩めるだけで外して取り替えられるジョイントが、40年にもわたる主力事業となりました。
義弘さんの長女である取締役の菊地 智美さんが、入社したのは1996年。
いずれはと思いつつも一旦は別の仕事に就いた智美さん。一方で、経営よりも現場主義だった義弘さんは会社を不在にすることが多く、気づいた頃には社内はさんざんな状態になっていました。
そんな状況を見かねての入社だったそうです。
「揉めてる時に大変そうと思いつつも嫌いじゃなかったので、まあいいかと(笑)当時は経理の簡単な帳簿や営業の見積もりのお手伝いしたりなど、事務全般をやっていました」
そうして、智美さんが入社してしばらくが経った2002年。
義弘さんが病気で倒れたことがきっかけで、初めて会社の将来のことを真剣に考え始めたそう。
「いきなり経営をやれと言われてもできないし、今後を考えて『すみだ塾』というビジネススクールに入りました。この時代、小さな会社一社じゃ何もできないし、事業を続けていく上で、仲間が絶対に必要だと漠然と思っていました」
寡黙で経営は苦手。だけど誰にも負けない技術と知識があって、現場では一目を置かれるお父さんの姿を昔からずっと見てきた智美さんは、現場に出たいと言い続けましたが、認められることはありませんでした。
そこで目指したのは、尊敬する父親とは違う自分なりの経営者でした。
「経験を積まないと後を継げないと思って、現場にすごい出たかったしそれがかっこいいと思ってました。同じことをやればみんなに認めてもらえて社長になれると思ってたので、反対されてどうすればいいのか入社してからずっと悩んでいました。それで技術がない私は、すみだ塾でたくさんのことを学びました」
すみだ塾に対して最初は反対していたお父さんも、そんな活動をみて変わってきたそうです。
「卒塾式に父と弟に来てもらい、会社をどうしていきたいかプレゼンしたんです。そこからようやく好きにやっていいと言ってくれるようになりました。きっと父も悩んでいて、伝えなきゃいけないし教えてあげたいけど、どうやって伝えたらいいかが分からなかったんだと思います」
営業部には、智美さんの弟である係長の菊地 真之さんが在籍しています。智美さんとは対象的に大学を卒業してすぐに入社されました。
この会社の営業職は、どういったことをするのでしょうか?
「大きく分けて2つあって、コンサル営業とメンテナンス業務です。橋梁を設計するコンサル会社さんから、ジョイントを設けたいと問い合わせをいただいて話が始まります。打ち合わせを重ね、図面を起こして、物件になるのが一つのパターン。あとは、首都高速さんでメンテナンス業務があります。これは常時補修箇所が出るので、商品をご注文いただいて納めるというものです」
営業と掛け持ちで設計業務も担当されている真之さん。
設計に関しては、独学で身につけられたそうです。
「うまく説明できないところを伝えるのに絵を描いていたら、それが積み重なって図面を起こすようになりました。他の会社だと部署で分かれますが、それだと確認でタイムラグが出るのに対して、我々は現場を見ていて営業の段階である程度の判断できることが強みです」
統括部長の中村さんは、21年前に智美さんと同時期に入社し、長年一緒にこの会社を見てこられました。
そんな中村さんは、ここでの営業についてこう話します。
「単にお客さんを回るだけじゃなく、財務的なことや現場のこと、そして図面も分かればより早く答えが出せます。小さな会社なので一人で何役もこなす必要がありますが、かといって専門的なところまでは難しいので、まず商品を覚えてもらって、やってれば図面も読めるようになります。浅く広くどこを突かれてもある程度は応えられるようにはなって欲しいと思います」
お二人とも未経験での入社ですが、以前は銀行で働かれていた中村さんは、異業種からの転職。
戸惑いなどはなかったですか?
「右も左も分からない状態で入ってますので、以前のことは通用しませんでした。ただ、会社が大きくなるにつれ徐々に営業面にも力を入れ始めた時期で、そこは大変でもありおもしろみでもありました」
「結局、上の人が育てるんじゃなくて、自分で頑張ってもらうしかないかなと思います。ぼくらもそうでした。そのお手伝いはさせてもらうので、一緒にやっていく中で素直な子だといいですね」
ルート営業に近い形なので、数字的なプレッシャーは少ない。売上目標はありますが、達成するかどうかではなく、どうすればよくなるかを話し合い、アイデアを出し合えるためのものだそうです。
一方で、全ての始まりは営業からです。工事に入るまでの全ての段取りをお客さんと行い、工事開始のタイミングで打ち合わせに同行し工事班に引き継ぎます。話をスタートさせ現場へうまくバトンタッチする、大事な役割を担っています。
そんな仕事のやりがいを真之さんに伺いました。
「特殊であまりひと目に触れるものではないですが、普段の生活の中で気づいてもらった時ですね。また、なにもないところから話が始まって、図面を起こして、基礎ができて、橋が架って、ジョイントが付いて車が通る。それは当たり前のことかもしれませんが、最後にジョイントが付いた時はうれしいですね」
続いて、工事班の待つ羽田事務所を訪れたのは、既に日も暮れ暗くなってから。
羽田事務所は、首都高メンテナンス西東京の建物内にあります。今年できたこの場所は、シャワー室などが完備され非常に綺麗ですが、交通の便があまり良くないのと、夜間工事が基本で終わりが夜中や朝方になるので、みなさん車やバイクで通勤しています。
墨田区と羽田の事務所では、勤務体系も給料も全く違います。そのため指揮系統もそれぞれ独自に回り、同じ会社で部門が違うだけですが、それは全く別の会社のようです。
「工事班は、創業当時からずっと人手不足に悩まされています。現場は1グループ最低4名編成に対し、全員で4名しかいない今はギリギリの状況です。6~8名が確保できれば、どんな仕事も満遍なくでき、ローテーションで休んだ人をフォローしたり、休みを増やすなどもっと働きやすく改善していけます」
と話すのは、所長の菊地 康男さん。社長のご兄弟にあたります。
康男さんは、勤続37年。55歳の頃までは現場で活躍されていた大ベテランです。
ここでの仕事は、首都高速道路上のメンテナンス工事。基地で道具を準備して、現場となる首都高速へトラックで向かい、古くなったジョイントの付け替えを行うというもの。
ボルトを外して交換だけの場合は数時間で終わりますが、継ぎ目部分のコンクリート自体を壊し、新しくコンクリートを作るのはハードな作業で朝までかかることもあり、なかなか続く人が少ないそう。
「足元から下の仕事なので、しゃがんで立ってが5〜6時間ずっと続いたり、30kgのブレーカーを持って1時間半ずっと壊しっぱなしですからね。ジョイント交換だけの仕事がこなせても、いざハードな仕事をすると腰にきてしまう人が多いんです」
これまでに大きな事故やトラブルはないのでしょうか?
「おかげさまで大きな失敗や死亡事故もありません。安全に仕事ができるような道具や車の配置を考え、対策にはものすごく気を使ってきたということと、ノウハウを現場の人たちにちゃんと伝えてきました」
みなさん未経験からのスタートでしたが、意外なことに全く経験がない方がやりやすいそうです。
「うちは手間をかけてもしっかり施工したいという想いをずっと受け継いできました。とりあえず終わればいい、及第点であればいい、という会社もあるので、そういうところに何年もいてやり方が身に付いてると、求めるレベルと差があったりやりにくさを感じるかもしれません」
「現場では、見極める判断力が必要です。うちのはボルトで簡単に取り外せますが、新しいものを入れればいいってものではなく、なぜこうなったかを解明し、現場の状況を見ながら一手間かけて交換できるかできないかで、持ちがぜんぜん違います」
施工の仕方によって大きな違いが出るため、商品と施工はセット。自分たちで設置ができない場合は、商品を納品するだけではなく、技術指導にも行きます。
「別の会社が施工する場合、初めに設置指導に行きます。持ちの半分が決まるくらい技術力は大事なんです。海外からお問い合わせもありますが、施工に責任が持てないので出してません。商品さえ売れればあとはどうなってもいいではなく、やっぱり長く持って欲しいし、安全に使って欲しいんです」
現場の責任者でもある、児玉 雄輝さんにお話を伺いました。
児玉さんは以前も、荷揚げなどの現場作業の仕事をされていましたが、知り合いに紹介されてここで働き始める。14年間の勤務実績から、2010年には現場の班長を任せれています。
「班長になって、最初は人をうまく育てる責任とか、教え方とか、そういう部分で悩んだりプレッシャーもすごかったですけど、もう20代からやっててみんなをまとめていかないといけないし、滅多にできることではないので、自分のためにはなってると思います」
どんな方と働きたいですか?
「協調性と謙虚さがある人ですね。とりあえず繋ぎでとか、お金の面が良さそうだとかでは続きません。いろんな技術を覚えられる点はメリットだと思うし、興味があればこっちも教えやすいです」
この仕事で大変なところは?
「まず未経験だと物を覚えるのが大変ですね。工具は相当な数や種類があります。電動工具だったらその部品の名前も覚えないといけないし、それがどのトラックのどこに乗ってたかまで把握しないといけません」
「1年も経てばこうした方がいい、こう段取りした方が楽、ということが分かってきます。よく段取り8割、現場2割って言いますが、どれだけ段取りをちゃんとやってるかで現場は変わってきます」
ジョイントに関わることだけですが、各自の作業員が担う技術内容は非常に広い。1つのことだけをする専門家ではなく、ジョイント工事に関することは何でもこなすため、さまざまな技術力が求められます。
「たかが橋と橋の継ぎ目の交換ですけど、そこに土木の技術が凝縮されています。他の会社は分業していますが、うちは鉄を切ったり、溶接したり、コンクリート壊したり何でもやるので、もしここを辞めても為になるし、だから覚えようと思います」
夕方18時になると、児玉さんは現場の確認と書類を用意し、他のメンバーはその間に荷物をトラックに準備していきます。そして、元請けの担当者を交えたMTGを経て、現場へと出発します。
この日の現場は、首都高速2号目黒線。
現場に着いた時には既に工事班は到着し、数百メートルにわたり規制が張られています。
初めて降りる首都高速道路は、想像以上の緊張感が漂っています。交通量の少ない路線で渋滞などは発生していないものの、猛スピードで通過する車、強風を巻き起こす大型のトラック、この場所にいるだけでビリビリと精神がすり減らされていくような感覚です。
規制から撤収までの時間は厳密に決められており、5分早くても遅くてもアウト。建物工事と違い、基本的に翌日には持ち越せないため、厳しい制限時間の中で配分を考えながら、迅速に仕事を終えなければいけません。少しのロスも許されない現場は、事前の準備やチームワークが非常に重要になります。
また、現場では自分の身一つで守るしかなく、いかに無事に帰ってくるかを最優先に考えられています。そのため給料は時間に関係のない日給制で、できるだけ早く終わらせることができれば、働く方の負担も危険度もそれだけ少なくなります。
「一番困るのはダラダラやられること。緊張感がなくなると危険要素がそれだけ増えていきます。怪我や事故をしたらなにもならないし、現場にいること自体が危ない時間なので、早く終わらせて早く帰ろうくらいの前向きな気持ちでいてほしいです」
その言葉通り、作業はとてもスピーディー。大声を張り上げたり、力任せに作業をするというよりは、淡々と流れるように着実に進んでいきます。一人ひとりの役割がしっかりあり、無駄な動きが一切ない。
この仕事でやりがいを感じる瞬間は?
「100%イメージ通りにできて、やってもらってよかったと言ってもらった時ですね。施工業者の瑕疵責任が今は1年あってそれで壊れないのは当然で、数年経っても壊れないとうれしいですね。時間はかかりますが、やっぱり丁寧にやってよかったと思います」
「首都高速は、メンテナンス箇所がたくさんあって、作業員が少なく補修が間に合っていません。毎日1箇所やってもやりきれない状況で、1年で壊れるとますます間に合わなくなります」
交通量の少ない山奥の県道では20〜30年は持つこともあるが、首都高速だと5〜7年で取り替え時期がやってくるため、需要に対して供給が追いついていない。
常に人手が足りない状況で、これまで来るもの拒まずの採用をしていたところ、急に辞められるなどの問題も多く、長続きする方が少なかったそうです。
しかし、今のメンバーが定着してくれていることをきっかけに、少しづつ社内の雰囲気も変わり始めていると、康男さんはいいます。
「お金と手間をかければ安全やそこそこのものが買えるけど、一番大事なのは人がそれをちゃんと使う努力しなきゃ、活きない。そして、個々に信頼がないと任せられないので、何人いてもなんにもならない。仕事は増えて、時代も変わるから、昨日と同じ努力じゃ絶対に下がる。気持ちと目線は常に上を目指してないとね」
最後に、智美さんに今後の目標を伺いました。
「後ろ向きではないですが、あまり拡大する気がないんです。続けていくことが一番大きな目標で、そのための適正な従業員さんの数とか、受けられる仕事の数があって、それがバランスよく回ることが大事だと思ってます」
「なぜかと言うと、この商品は補修が出る仕事で、何年後かにまたうちが責任を持ってやりたいんです。世の中にうちの商品がある限りは補修をしたいし、そのためにずっと存続していかないといけません。同じことをやり続けるんじゃなくて、新しいことをやりながら少しづつ中身を変えて、しっかり地道に会社を続けていくための努力をしたいです」
智美さんは、取材の最初にこんなことを話されていました。
「土木作業員のイメージは、世間一般的にはあまり良い印象がなくそれも変えていきたい」
取材に伺って意外だったのは、建設作業をされる方の一般的なイメージに、ここで働くみなさんは当てはまらない。これまでは、普通の会社からはみ出してしまった人が多かったのも事実ですが、それも変わりつつあります。
それは、この仕事をやりたい、興味があるという前向きな人じゃないと、決して続けていける仕事ではないからです。これからもたくさんの車が安全に走れるように、一緒にこの会社と社会を支えていきたい、そう思える意欲的な方はぜひチャレンジしてみてください。