ずっとこの場所で続けるために 株式会社大瀧金属製作所
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ご応募ありがとうございました。
「長年働いていてくれた職人が独り立ちすることになりました。うちは、技術のある方が一人いてくれれば、あとはパートさんで回ります。でも、今の時代なかなかそういう方がいません」
日本のものづくりは、海外に仕事を奪われ縮小を続けてきました。
しかし、人件費の高騰などにより、日本の町工場に再び仕事が戻り始め、今はどこも生産が追いつかないほど。にも関わらず、町工場の減少には歯止めがかかっていません。
中には黒字にも関わらず廃業してしまうところもあり、仕事はあっても受けられない現状があります。その原因の一つは、働き手がいないこと。
たった一人、一緒に頑張ってくれる方がいれば、ものづくりを続けていくことができる。辞めるのは簡単だけど、どんなに大変でもこの場所で続けていきたい。
存続をかけたプレス工場の想いをぜひ読んでみてください。
株式会社大瀧金属製作所は、1959年創業のプレス加工や容器の組み立てを行う町工場です。
作っている製品は、キャップをはじめとした化粧品容器の部品。金属の型を使って、一枚のアルミの板からお客さまの要望する形へと成形し、仕上げ、組み立て、そして出荷までを一貫して行う、化粧品容器専門メーカーです。
今回は、このプレス工場で『工場長』として働いてくれる方を募集します。
プレス経験が必須にはなりますが、それ以外のものづくりの経験をお持ちの方でも、応用できる技術をお持ちであれば挑戦していただけます。
東京・墨田区の北部に位置する東向島は、隅田川と荒川に挟まれた落ち着いたエリアです。
工場への最寄り駅は二つ。東向島駅と八広駅、どちらからでも徒歩10分ほど。駅を出ると、少しづつ町の開発が進んでいるものの、小さな町工場の姿もちらほらと見え、いわゆる下町の趣をしっかりと残しています。
そんな場所に『株式会社大瀧金属製作所』もあります。
午前8時50分。工場に少し早く着いたので、周りを歩きながら時間を待っていると、次から次へと女性が自転車に乗ってやってきて、工場の中へと入っていく姿が見える。子育て中のお母さんも多いのだろうか、子供を乗せる自転車に乗る方も多い。
約束の時間になり中へ案内していただくと、さきほど見かけた方々が既に製品組み立て前の準備を行っています。驚いたことにここで働いている方の9割は、女性の従業員さんだという。そしてもう一つ驚いたことが、工場の中が明るく綺麗。イメージしていたプレス工場とは、ずいぶんと印象が違います。
「父が昭和34年に立ち上げて、機械やなにかはそのままです。でも、これまでプレスは危ないというイメージでしたが、今は安全面がとても厳しくなったし、パートさんも多いので自動で機械が止まる仕掛けをしたり、化粧品の部品なので少しでも綺麗にしなくちゃってことで、年中メンテナンスをしています」
まずお話を聞かせてくれたのは、代表の石塚容子さん。男性のイメージが強いプレス工場ですが、従業員さんだけでなく社長も女性です。
株式会社大瀧金属製作所は、石塚さんのご両親が59年前に始めた会社でしたが、7年前にお父さんが他界され、石塚さんがその後を継がれました。しかし、それまでも会社を手伝ってはいたものの、現場のこと全てを把握していたわけではなかったため、いざ引き継いだものの苦労は絶えなかったと言います。
「父が亡くなった時に、何もできない人を社長とは認めないと職人から言われたこともありました。でも、機械場のことは分からないことばかりなので馬鹿にされても仕方ないですし、できないんだからやってもらうしかないと思ってやってきました」
この会社で働く方は、工場長が1人とパートさんが10人ほど。そして、石塚さんのお母さんと、お二人の娘さんも一緒になって工場を切り盛りされています。
「母は、父と二人でこの会社を立ち上げたくらいですから、未だに全てを見てもらってます。娘二人も手伝ってくれていて、要するに家族経営です。従業員はもちろんお休みですが、土日も家族で作業をしないと間に合わないほど、今は押しています」
業界的には今が繁忙期なのでしょうか?
「8月まではこの先どうすんのってくらい低迷してましたが、お盆休みが終わると同時にどうしちゃったの化粧品業界ってくらいの忙しさです。プレス機を動かして化粧品をやってるところはみんな今そうです」
実は、プレスの国内仕事は、どんどんと中国へと流れ衰退傾向にありました。しかし、中国の機械の老朽化や人件費の高騰といった様々な問題により海外での生産が難しくなり、再び日本に生産が戻り始め町工場には仕事が増えているそうです。
この工場が作る製品は、化粧品の容器だけで種類的には多くありませんが、お客さまに選ばれている理由は、素材から部品を作り出し、最終的な納品までを一貫して行うことができ、発注側するといくつもの業者に頼む必要がなく、非常に効率的な点です。
「うちは古くから化粧品の容器のみです。蓋やポンプの根本の金属部分を作り、それ以外の部分は依頼元からいただき組み立てまでやります。だから、どこかで見たことあるものばかりだと思います」
「大手さんのように大量には作れませんし、父の頃は少しでも仕事に行き詰まると手伝ってくれる方が周りにたくさんいて、もっと大きなものもできたし、次から次へと受けられたんです。でも、そういう方たちも無くなり、今はここで動かせるものだけにしました」
化粧品キャップの素材は、全てアルミニウムですが、完成品を見るとそれぞれ表情が全く異なるように見えます。光沢のあるものもあれば、マットなもの、色鮮やかなものまで様々ですが、この違いはアルマイトと呼ばれる加工によるもの。
アルミが錆びにくいのは、自然にできる酸化皮膜で保護されているためで、さらにこの皮膜を保護したり、最終的にお客さまの要望する色にするため、プレスで成形後は、アルマイト屋さんへと製品が持ち込まれ、表面を酸化処理し染料を浸透させます。
色付けが行われた製品は、再びこの工場に戻り、組み立て、検品を経てようやく最終製品となり、梱包をして出荷となります。
でき上がった製品はとても軽く、これはアルミの特徴の一つです。しかし、加工前のアルミを丸めたコイル材の重さは約30kgにもなります。この素材の持ち運びには、相当な体力が必要です。
これまでに作られた製品を見せていただくと、形、色、大きさ、質感と、多種多様な容器があります。
作る容器の種類は、年々増えたり減ったりするのでしょうか?
「ほぼ同じです。デザインを変えたいと言われることもありますけど、型を一つ作るのも大変ですし、型代を出せないところがほとんどで『こういうものを作りたいから型はある?』と来るのが今の仕事です。それに、以前は型を作ってくれるところがいくらでもありましたが、もう作れる方もほとんどいません」
「だから、今年は型からの仕事はないです。化粧品の容器の値段は幅がもう決まってますから、どんなに高級にしたくても結局は中身のこと。容器をいくら豪華に見せても金属自体では限界があるので、うちみたいに古くからやっててたくさん型を持っていると応用が効くんです」
今回の募集は、プレス工としてプレス作業はもちろん、工場全体を管理・指揮する工場長になります。
募集の背景は、これまで工場長として働いていてくれた方が独立をされるため、この方の仕事を全て引き継いでもらいたいと考えています。
「今回まずは工場長を募集したいですが、一人が抜けたことで全体が回らなくなってしまうことがないように、次の世代じゃないですけど、今回募集する方の次にも中堅どころを入れたいのはあって、ゆくゆくは二人体制まで持っていけたらなと考えています」
今回募集する工場長には、どの程度の技術や経験を求めていますか?
「型が付いた状態での加工ではなく、型を付けるところからできないとうちの仕事は始まりません。なので、型の管理から人の管理まで幅広く見られる方になります。一人で考えてやってもらうことも多いので、未経験だとこちらとしては不安なので、ある程度のご経験ある方にお願いしたいです」
工場の奥で、女性のパートさんへ指示を出していた現工場長である吉村さんが、作業の手を止めてさらに具体的にお話を聞かせてくれました。
吉村さんは、先代社長が亡くなった後、現場を支えてきた方。この業界に入ってもう25年になるベテランで、ここへやってきたのは先代社長が亡くなる半年前でした。
「親父さんと働いたのは半年くらいだけど、俺が23歳でこの業界に入った時から知ってて。いなくなった後、機械をいじり倒させてもらえたからやってこれたんだけど、やっぱりものづくりの仕事が好きなのよ。ここはある程度自由が効くから、自分でいろいろと試す姿勢がここでは大事だと思うよ」
色付け以外の作業は、全てここで行っておりその中のプレスの工程は、大きく分けて7工程。
1万個の発注があれば、7万回の作業をこなす必要があり、一日に7〜8回ほどの型の取り替えが必要になります。そのため、工程自体は昔と大きく変わらないが、常に効率化できないか模索したり、不良を出さないように管理することも仕事です。
この仕事で大変なことは?
「型の取替えが多くなると、やっぱしんどいよね。数も多くて単発で使うこともあれば併用もする。古い機械が多いから、いかに安全にパートさんたちに使ってもらえるようにするかも難しいところかな」
「あとは、パートさんの手が空いちゃまずいわけ。一つやってもらってるうちに型を付けておいて、終わったらすぐできるようにしたり、それをやりながら自分のこともやるから、常に流れを見て動いてる。順番があって一人じゃできないからチームワークがすごく大事」
パートさんは女性ばかりで気を使ったり、外国の方も多く働かれていることで、細かいニュアンスを伝えることが難しい場面もあるそうです。
「日本語は通じても、なんとなくニュアンスで伝えるような日本人に伝わって伝わらないことっていっぱいあるよね。目と耳で感じてもらうしかないから、あとは慣れてもらうしかないかな」
この仕事のやりがいはどんなところでしょうか?
「ものづくりは楽しいよね。夏と冬の気温でも変わるのよ。それを綺麗に形を出せたり、数字がピタッと合ったりするとおもしろい。でも、やらないと合わないから、やりながら改善していかないと。まあ10年やればものになるんじゃないかな、そうやって俺らも言われて育ったから」
化粧品という製品を作る上で、特に気をつけなければいけないことが、ゴミや傷なんだそう。
「昔のプレス屋さんは、扉を開けっ放しでも平気でやってたけど、今は閉め切ってゴミが入らないようにしないと、化粧品は顔や体に塗るものだから、ゴミと傷に特に厳しい。一万個のうち一個や二個でも傷があるとだめ。アルミのケトルは、プレスの中でも特に神経は使うよね」
この業界は、後継者が少なく今でも70代や80代が現役している。20年以上この業界で働く吉村さんでさえ若手になるそう。
「跡継ぎがやらないから若手が育たない。だから仕事はむちゃくちゃあるけどやるところがない。それに騒音とかも厳しくて場所もないし、うちだって残業もできない。続けていくには結構大変よ」
新しく入ってくれる方には、しばらくは吉村さんと一緒に働いてもらい、業務の引き継ぎを行ってもらうことになるので、全くのゼロから一人でスタートするわけではないので安心です。
工場を旦那さんと一緒に始めた、容子さんのお母さん、初枝さんにもお話を伺いました。
話し好きで話し出すと止まらない初枝さん。とっても気さくで、いてくれるそれだけで工場の雰囲気を和ませてくれる存在です。
「娘はもうね、せっかちだから材料が来たらすぐにかからないとだめで、少しでも忙しいものは作って全部ストックしてます。ほんとはね、在庫なんて持ったら仕事できないって言われるんですけど、やっぱりスピードが命ですからね」
今でも現場に立たれている初枝さん。その原動力は娘の容子さんと、お孫さんの存在が大きいと言います。
「ホントはこの仕事なんて辞めてしまおうかと思ったの。主人を亡くしたときにね」
「でも、孫がお産で戻ってきたと思ったらそのまま帰ってきちゃって。でも、おじいさんは孫のことを可愛がってて喜んじゃってね。だから、みんなで稼ぐより仕方ないでしょって」
初枝さんが嬉しそうに語る次女の麻紀さん(写真左)と、長女の由紀さん(写真右)にもお話を伺いました。
二人とも大学を卒業後は、一度は別の会社で働きに出ていました。落ち着いた雰囲気の由紀さんは、不動産関係の会社に。そして、サバサバとして物事をはっきりと言う麻紀さんは、英会話スクールに就職。
就職した会社のジャンルも違えば、性格も全く違うお二人ですが、今ではこうして実家に戻り、家族みんなで工場を支えています。
一度は就職した会社を辞めて、ここで働くことになったきっかけがあったのでしょうか。
「叔母が病気になってたんです。家族が団結して家で見ようと最後は家で看取ったんです。その時に人手が足りなくて、妹は大学生だったのでいろんな時間を使ってくれたり、おばあちゃんや母も大変そうな姿を見てて、違うところで働いてるくらいなら少しでも力になりたいと思ったんです」
ここで産まれ育ったお二人ですが、子供の頃もここで働きたいと思っていましたか?
「ぜんぜん思ってないです。家の仕事が嫌いとかじゃなかったんですけど、選択肢になくて。でも、他の会社に行ったのが大きかったですね。今はほんとに子供と一緒にいられるってのがすごいいいかな。だから、子供が産まれて考え方も仕事に対する真剣度も変わりました」
働きやすい環境作りは、自分たちだけではなく従業員さんにも同様なんだそうです。
「父の代からですが、小さな子どもがいるのを承知で雇うので、子供が熱を出したら休んでいただいたり帰ってもらいます。こっちはもちろん困るんですけど、それを補えるというか、同じ立場の方が多いので気持ちも分かりますので、安心して働いていただけると思います」
麻紀さんがダボ打ちと呼ばれる、蓋を留めるための容器側面に突起を付ける作業を見せてくれました。
簡単そうに見える作業ですが、少しでもずれると後の検査が大変になることがあるそうで、工場の作業には、こうしたスムーズな流れがとても重要です。どこか一つでも滞ってしまうと、全てに影響が出てしまうので、コミュニケーションが欠かせません。
技術職であってもコミュニケーションがしっかりと取れること。そして、何かを我慢して働くよりも、思ったことは何でも相談してほしいと、容子さんは言います。
「思ったことをストレートに言ってもらえた方がいいし、言いたいことを我慢するより、できれば末永くいてほしいので、自分の気持ちを言えるくらいの人の方がお互いのためにもいいと思うので、気難しくない方と働きたいです」
「うちは、どんどん提案してくれればどうにでもなります。恥ずかしいんですけど、私はここしか知らないので他所ではこうしてたよって教えてくれれば、それはお互いにとってもいいことだと思うし、知らない分教えてくれればもっと助かります」
他のプレス工場と比べてここにしかない魅力はありますか?
「作っているものがイメージしやすいのはあると思います。自動車関連のプレスは、目の前の部品が何か分からず作っているところもありますが、うちは仕上げまでをやってるので、工場に来た方に『これ見たことあるよ』と言われることは多いので、モチベーションには繋がると思います」
「あとは、うちは自分でやるしかないから、自分なりの仕事運びはできます。私はある程度の注文と納期を黒板に書くだけで、あとの算段には口を出さないので自分なりに仕事を順序立てられます。かといって売上が下がっても責任は私だと思うので、それについては一切言わないです。任したら任した以上全部お任せするので、それをやりがいに感じてもらいたいです」
最後に、この会社の今後の目標を教えてください。
「このあたりには軒並みプレス屋さんがあったんです。今、どこの路地を曲がってもプレスの音ってしないし面影ないでしょ。私がそれこそ幼稚園に通って八広の駅へ行く時には、全部が全部って言っていいくらいプレス屋さんでした」
「だから、一つでも消したくないなって。もし続けていけるなら父や母が立ち上げたところだから、この一角で今までのようにこのままの状態でこのものづくりがしていければ、私は幸せだなと思います」
たった一人で会社は回らなくなることがある。この会社の工場長は、そのくらい大事なポジションになります。他の誰かが簡単に穴埋めができるものではないので、責任も重いかもしれません。
しかし、会社からの期待をやりがいに変え、会社と共に一緒に成長していきながら、ときには先導して引っ張っていく、そんなパワーのある方にこそ、ぜひ挑戦してもらえたらなと思います。