チームワークが生み出す製品 岩澤硝子株式会社
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私たちの生活の中で、当たり前に使っている商品。そんなものを自分の手で作り出すことができるのは、とてもやりがいの大きなことかもしれません。
しかし、そうした人々の生活で使われているものには、当然たくさんの人が関わっています。みんなが協力しチームワークがあってはじめて、多くの人のもとへ届く製品を生み出すことができます。
ものづくりは、決して一人でできるものではない。
墨田区の東側、東武亀戸線沿いを歩いて行くと墨田区立東吾嬬小学校が見えてくる。子供たちの声がよく聞こえる落ち着いた場所に岩澤硝子はあります。ガラスは墨田区の地場産業でもあり、場所がら体験入社も受け入れ、地域の方にとっては身近なものづくりの現場です。
今回は、この岩澤硝子で『ガラス成型工』として働く正社員を募集します。
岩澤硝子株式会社は、1917年より江東区猿江で創業しました。その後、戦争により企業合同と呼ばれる合併が起こり一時中断を余儀なくされます。そして、再びガラスの製造を開始したのは1951年で、現在の墨田区立花の地でした。
創業時は、車やバイクのヘッドライトに使われるレンズや醤油注ぎを製造していました。しかし、下請け仕事で納期も品質も厳しい上に、安価な価格を強いられてしまう。これでは働いてくれている社員を食わせていけないと先代がレンズの製造を大幅に減らす改革に踏み切り、これまで得意としてきた『金型』製法を活かせる、当時たばこの延長で売れていた灰皿に目を付けます。
自分たちの長所を活かすとともに販売が伸びていた灰皿は、当時はそれだけでも食べていけるほどの爆発的な売り上げになりました。そして、新しい製法を導入したことで、お皿や鉢などの食器、調味料入れ、花器、トロフィーや表札、雑貨品まで多色多品種を製造しています。
ガラスと言うと、吹きガラスをイメージする方も多いと思いますが、岩澤硝子は『金型』を使った製法に長けています。金型に溶けたガラス種を流し込み、プレスやスピンドル、圧迫と呼ばれる成形法を用いてガラスを作ります。この金型製法を用いレンズや調味料を作ってきたことで、厚手のガラスを多く手がけており、がっしりとしたガラスが多いことが分かります。
代表的な商品である醤油注ぎは、今でも年に数万本を製造する定番商品。この地に工場を移してからデザインは全く変えていないが、蓋をネジ式からすり口に変えた液だれしにくい新タイプを開発し、2010年に墨田区の地域ブランド『すみだモダン』に認定。
今では、全国の飲食店で使われる調味料入れの7割ほどを手がけるだけでなく、一般家庭の需要も増え我々の生活の身近な存在になっています。
「ラーメン屋さんで塩入れがうちのだったとかはよくあって、ファミレスさんや居酒屋さんなどで使われてることは多いと思います。全部とは言わないですけど、10軒行ってないことはないと思います」
「そういった名前は出てないけど、作ったものが見えて、自分のものを使える。人にあげられたり、俺が作ったんだよって言えるのはよかったなと思うので、最終商品があるのはうちで働く魅力だと思います」
そう話すのは、代表取締役の岩澤宏太さん。
39歳の岩澤さんは、町工場の社長さんとしてはとても若いが、4代目として後を継いだのは先代が亡くなられた昨年。入社したのは約15年ほど前で、それまではサラリーマンとして働き、会社を継ぐつもりは全くなかったと言います。
そんな岩澤さんが入社したきっかけや、家業を継ぐことに葛藤はなかったのか、お話を伺いました。
「前の仕事をたまたま辞めることになった時に、会社でパソコンを使える人が必要だし営業も必要で、父からやってくれないかってことで入ったのですが、そんなつもりは毛頭ないまま若い頃を過ごしてきてしまったので、入った時は全くの世間知らずでした」
先代であるお父さんは、現場あがりで東京伝統工芸士の資格を持つ技術者。対して、岩澤さんは畑違いの業界からの転身で未経験。苦労したことや、この会社に入ることに抵抗はなかったのだろうか。
「入ると決めたらもうやるしかないですから。それは町工場されてる方はみなさんそうだと思います。入社した時はみんな年上で呼び捨てされたり、昔は口の悪い職人さんもいてうるさく言う人もいました。でもそんなの気にしてられないですし、プライドよりも教えてもらって、決めていくしかないなと思って覚悟してやってました」
「技術面では、今もたまに現場に入りますが、毎日やってる技術者には勝てないので、最低限というかチームの中でもメインの仕事とサブの仕事がある中で、メインはやらないしやれないから任せています」
一方、サラリーマン時代の経験を活かし、工場の経営的なことから労務や総務、さらにはメディアの取材対応まで、ほとんど全てを岩澤さんが見ています。また、岩澤硝子は他工場と違い、『工場長』と呼ばれる役職の方はいません。そのため、生産・出荷管理、原料や資材の管理、営業に至るまで一人で担う。
それにしても家族経営の工場ならまだしも、この会社ほどの規模で工場長がいない工場というのは、珍しいように思いますが、なぜ工場長を置かないのでしょうか?
「うちは工場長だけでなく、班長もいません。技術者の中でうまい下手があったり、年数や経験が同じくらいの人が同じチームだと揉めることがあり、誰を工場長にするかで相当変わってきます。もちろん工場長を置いてきっちりしている工場もありますが、中途半端に置くのは揉め事の原因なので、生産管理や指示出しはこちらがやり、細かなやりくりは全部現場に任せています」
午前中の製造が終盤を迎えたところで、工場に案内していただきました。
ガラスを溶かす大きな溶解炉は、建物の1階から2階へと突き抜け、そしてそのまま天井まで煙突で繋がっています。窯の心臓部である1階からガスが送り込まれ、そして2階のるつぼと呼ばれる容器をおよそ1400度で熱し、ガラスを溶かします。
ガラスを製造する2階の現場は、天井が高く真ん中に大きな窯と煙突が鎮座し、その周りを取り囲むようにたくさんの職人が慌ただしく作業をしています。ピリッとした緊張感のある独特の雰囲気に包まれた現場には、ただただ圧倒されてしまいます。
現場は、4~5人が1つになったチームが4組ほどで構成されており、各チームごとに窯から溶けたガラスを竿で巻き取り、流れるような連携プレーで次から次へとガラスに成形していきます。
大きな掛け声を出す様子もなく、淡々としつつも手際よく進む現場。チームが一体となり作り出す流れにおいて、誰か一人でもペースが遅れてしまうと全体のリズムが崩れてしまう。一瞬も気を抜く隙はありません。この現場を見れば、いかにチームワークが大切か、たった一人でも欠くこともできないということがよく分かります。
ガラス工場には、岩澤硝子のようにハンドメイドと呼ばれる手作業を行うところと、オートメーションと呼ばれる機械で作るところがあります。ハンドメイドは、ほとんどの工程に人手を必要とし、多くの人の手が加えられていて、手作り感のある温かい風合いがあります。だからこそ、たとえ下請けだとしても値段は決して崩さないというのは、昔から貫いているポリシーなんだそうです。
技術の上達には、経験しかありません。できなくても少しずつでもやらせてみる。これがこの現場の仕事の覚え方です。
「吹きガラスはやったことがある人はいると思いますが、廃業された工場から来た人でない限り経験者じゃないので、うちの場合は素人しかいないんです。だから、基本的に素人を雇うことを前提で考えています」
「この仕事は、やらないと覚えられません。チームの中で一番サブの仕事は少し教えればできるようになるので、それをやってもらいながら少しずつ次を覚えていってもらいます。もちろん教えますけど、基本はやって覚える形です」
教えることが苦手な職人さんもいらっしゃいますか?
「やっぱりいますよ。うまい下手はあります。うちの親父もそうですけど、昔の人ほど技術はあるけど教えるのは下手で、逆に若い人の方がうまいです」
いわゆる一人前と呼べるほどの技術が身に付くまでには、どのくらいかかるのでしょうか?
「一人前がどこまでかにもよりますが、器用な人ならガラスを切って成型まで1年くらいである程度はできる人もいます。ただ、トラブル対応だとか金型チェックまでには、やはり10~20年ないと厳しいと思います」
まずは1年。そしてそこから突き詰めていくのに長い時間がかかり、すぐにメインの仕事ができるわけではありません。失敗をしてもどんどんチャレンジし、体に技術を覚えさせていく。今の先輩職人さんたちもそうやって成長してきたそうです。
「全滅されたら困りますが、5分や1時間の失敗なんてどうでもいいんです。だから、とにかく失敗しても責任は会社が受けるし、やらせない方がまずいからどんどんやらせていいと先輩の職人たちには言っています」
下積みを経験し豊富な経験値を持った技術ある職人さんは、既に高齢を迎えられた方も多い。今まさに技術を学ぶ若い方も何名かいますが、教える職人さんは70を超えており多くの職人さんが現場を離れる日は近づいています。技術の継承が非常に急務な状況にあることはもちろん、このチームの流れを維持していくにはどうしても人手が欠かせません。
「まだまだ勘の世界で技術も必要なんですけど、どうしても口だけでは言い表せない部分がいっぱいあります。温度が1度違うとか、場所が1cm違う、角度が1度違う。誰かがちょっと触っただけで温度は変わります。溶け方も違うし、同じ原料溶かしても違うんです」
「だから、どうでもいい人をアルバイトで雇うと、次の日にガラスを作れなくなります。ほんとに感覚の世界で、すごくそのへんがシビアです」
岩澤硝子で働く従業員はおよそ40名。20~100名ほどの規模で自社工場を持ち、ハンドメイドで食器をメインに作る会社は、今では全国で10軒ほどしかありません。さらに、吹きガラスをやっていない会社となると、わずか2軒しかありません。
ガラス業界は、海外からの輸入品やオートメーション化の波に押され衰退の一途を辿っています。しかし、売り上げが下がって廃業するだけでなく、倒産をしてしまうという現実もあります。この原因としてあげられるのは、固定費が高いことにあります。
ガラスの工場の運営において、多くの工程をチーム制で回すため、人手がどうしても必要で人件費がかかります。岩澤硝子の場合は、現場は1チーム3~6人が必要で、それが4~5チームある。さらに検査や事務の人も入れると、今の人数でもギリギリの状態です。
そして固定費が高いもう一つの要因は、ガラス工場の窯は24時間365日火を焚いておかなければならないこと。火を止めるのは10年に1度行われる窯の取り換えの時だけ。そのため、夜勤者の人件費はもちろん、ガス代も月に数百万単位でかかり、利益が出るかどうかはここで左右されてしまうほどだと言います。
取材に伺った日も、まだまだ寒さが残る冬にも関わらず、大きな窯の熱で工場の中は常に暖かい。窯の近くでは、この季節でも扇風機やクーラーが欠かせない。
「夏は特に辛いですね。常に1300~1400度が目の前にあるので、輻射熱で顔は真っ赤になりますし、脱水症状で倒れる人もたまにいます。とにかくうちの現場は、汗だくでびちゃびちゃになる仕事です」
「だから、福利厚生とまではいきませんが、お風呂もあって洗濯機もあります。みんな洗濯して干して帰るので、朝昼晩で誰がやるか決まってますし、お風呂に入って帰る人もいます」
熱い以外の大変なところ、怪我をするような危険なことはありますか?
「正直、やっぱり火傷は100%すると思います。慣れてくれば感覚も分かってくるのでしなくなりますが、どの仕事でもすると思います。あとは、金型が重いので私も何回かやったことありますが、金型同士で指を挟んだり、素手で型を触って切るとかはありえます」
「ただ、ここ30年くらいは大きな怪我はないと思いますし、たぶん私が一番怪我してると思います(笑)それに、金型をどう持つかとかは指示することじゃないので、個人次第ではあります。脱水症状も高齢の方が頑張りすぎてたまにあるくらいで、ここ何年かはないと思います」
熱いだけでなく重たいものを運ぶ厳しい現場には、女性の方が働く姿も見られます。女性的な感覚が活きてくるところもあるのでしょうか?
「吹きガラスは、重いものを持つ仕事があまりなく、作家さんには女性の方もたくさんいます。うちは金型を使って成型するので、何十キロの金型を一日に何百回もひっくり返すので、重いものを持てる体力に自信がない方には、難しいのは正直あります」
「ただ、ぐい呑みやタンブラーなどは、女性二人がメインで切っていて特にうまいです。これは男女というより性格かもしれませんが、小物は気を使うので女性は小物がうまいですし、逆に大きいものは男性の方がパワーがあって体力が続くだけに向いてます」
お昼が近づいた頃に、工場の隣に併設された事務所二階にある食堂を案内してもらうと、仕出し弁当が用意されていて、早めに終わったチームの方が先に来て、みなさんの弁当を準備しています。
お昼には、一部料金を会社が負担する仕出しのお弁当が届くそうで、ここでみんなで食事をし、午後のスタートまでは畳が敷かれた更衣室で休んだり、冬は窯の前に段ボールを敷き昼寝をすることもあるそうです。
こうして同じ釜の飯を食べ、普段から近い距離で接していくことで、現場でのチームワークや強い結束力は生まれているのかもしれません。
「社員同士いろいろありますけどね。昔はたまに掴みあってるのもいましたけど、今は大人しくなりました。まあ口が悪いのとかもいますけど、それはどこの会社行っても同じじゃないですかね。ただ、サラリーマンに比べ、同じチームだと一日ずっと一緒で結構くっついてないといけないのはあります」
肉体的には、決して楽な仕事ではありません。しかし、残業はほとんどなくメリハリを持って働け、副業も可能という自由な環境があり、意外にも仕事が厳しくて離職される方は少ないそうです。
「朝はちょっと早いんですけど、17時くらいにはみんな帰ります。うちは残業ができないんです。ガラスを煮るのに10時間くらいかかかるので、残業すると次の日が何もできなくて逆に効率が悪いんです」
「なので、夕方きっちり終わって、あとは家族サービスをしてもらったり、飲みに行きたい人は行けます。それこそ、アルバイトしたい人は本業に支障がなければしてくれてもいいです。だからなのか、入っちゃえば意外と離職率は高くないんです」
チームワークが非常に重要なガラス作りおいて、どのような方と一緒に働きたいですか?
「一番は協調性。ガッツとかはもちろん欲しいですけど、協調性があってチームワークに入れないと難しいです。いくら腕があっても一人で孤立してる人はどうやってもうまくいかないし、逆に一人の腕がうまくてもガラス作りはうまくいきません。やっぱりチームワークが大切だと思うので、まずはみんなと一緒にできることが一番だと思います。ほんとにド素人でいいし、ガラスの知識もなくていいので、ガッツがあってみんなでやりたい、みんなでやりますって方なら育てていきたいと思ってます」
全国的に衰退しているガラス工場ですが、横の繋がりが強く、昔から同業者同士で争うのではなく、互いに支え合いながら共存共栄を目指して取り組まれています。
「後ろ向きかもしれませんが、なるべく生き残る。みんなに迷惑かけて倒産するより、年配の人に辞めてもらうことがあっても、若い人のために縮小してでも維持していく会社をきちっと作っていきたいし、そういう業界じゃなきゃいけないと思います。そのためにみんなで一緒にやっていける人に入ってもらいたいです」
独りよがりでものづくりは決してできない。チームワークと協調性があって初めて、岩澤硝子のガラスは生み出されています。
みんなと同じ目標を持ちながらより良いものづくりをしていきたい、誰かと一緒にやることにやりがいを感じられる、そんな方からの挑戦をお待ちしています。