2022.10.29(土)

チーム技術で専門会社を超えていく町工場 昌栄工業 株式会社

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昌栄工業

小さな町工場では、一人一人の役割も多く、個々の活躍が大きく影響します。大変でもあり、やりがいにも感じられる部分でもあるかもしれません。

個々の力を最大限に発揮するのに、重要なのがチームワークです。

会社はチームで作るもの。人数が少なくても多くても、それは変わりません。

隣の人が困っていたり大変な状況ならば、自然と手を差し伸べてくれる人がいる。それが会社であり、チームです。

昌栄工業

墨田区東向島にある『昌栄工業(しょうえいこうぎょう)』は、1947年に金属プレス加工の工場として創業。

ブリキ玩具や双眼鏡のパーツなどを製造するところからスタートし、徐々にプレス絞り、へら絞りによるホーロー製品用容器の製造が中心となり、金型づくりから製品の最終形になるまでを一貫生産しています。

また、この会社の特筆すべき点は、外部の企業とも協力した『複合技術』。これは、それぞれの製造ノウハウを融合させることで各分野の技術力をつなぎ合わせ、今ある技術力を発展させた新しい形の製法を生みだします。この技術により、部品を製造するのみでなく、製品がより良い商品へと形になるまでのお手伝いをしています。

こうして金属加工を得意としながら、複合技術と発想力を持ち合わせる昌栄工業では、長年に渡り少数精鋭で各々の技術や価値観を磨き、実直にものづくりを続けてきました。

特に大切にしてきたのが、チームづくり。今回は、時間をかけてじっくりと作ってきた、結束力の強いこのチームに新たな仲間を募集します。

昌栄工業

まずは、3代目代表である昌林賢一さんに、今回の募集の背景から伺います。

「うちはずっと忙しい会社なんです。なぜ忙しいかというと、一つは多様性のある会社だということ。品物のジャンルも、建築、建材、半導体、カーテンレールなどの住設部品、キッチンツールなど、ものの種別がたくさんあります」

さまざまな分野、業種で使われるものを手がけるこの会社では、一人一人が多岐に渡る作業を担い、部門も細かく分かれています。

営業、資材調達、購買、それから商品の配達をする人いれば、部品を組み立てる人もいます。自社工場を管理する人もいるし、外部工場や会社を繋ぐ外との仲介を担う人もいて、製品を生み出す裏側にはたくさんの仕事があります。

しかしながら、ここで働く方はわずか12人だけ。細かく部門は分かれているものの、この少数精鋭のメンバーがそれぞれの領域を飛び越え、いくつもの部門をみなさんが兼任しています。専門技術が求められる工場においては珍しいことですが、なぜこのようなシステムにしているのだろうか。

「たくさんやることがあるので、一人一人が多様性を持ってほしいと常に思っていて、自分の仕事はこれだけと決めないようにしていきたい。ただ、一人が多様性を持つと、当然ながらたくさんのことが一人に重なってくるので、効率の悪いやり方になります」

「だから、一人が一つのことをやって極めていく方が効率はいいので、工場は小さくても大きくても、隣の人の仕事が分からないことはよくあります。でも、人財としてそういう会社にはしたくないのと、そもそもどの仕事もどこかで繋がっているのが私の感覚です。キッチン用品も機械も、繋がっています。だから繋がりやいろんな加工技術含め、物事ののまとめあげができることを、会社の本質にしたいんです」

昌栄工業

こうした会社の考えは、もともと根付いていたものではありません。昌林さんが少しずつ社内に浸透するよう、長い時間をかけて働きかけてきた結果です。

「一人で何役もするのは、はっきり言って大変です。だから、人材はずっと必要でしたが、その前に私たちがしっかりしなくちゃいけない。まずは、今の12人でやろうと募集はずっと止めていました。3~4年かけて意識改革をして、あの人は何をやってるか分からないじゃなく、現場が現場だけではいけない、みんながみんなを手伝おうという意識が今やっと少し芽生えてきました」

「そして、いい人が集まって相互関係がすごく良くなってきたので、このタイミングなら人を呼べると思ったんです。だから、作業員を入れるのではなく、私たちと同じ心意気を持った新しい人を呼びたい。大変な仕事だけど、おもしろいとか頑張ってよかったと思ってもらえる人に来てもらいたいです」

今いるメンバーが同じ意識に変わってきたからこそ、これから入る方にもそうであってほしい。昌林さんは、次に入ってくれる仲間に対してお互いにミスマッチがないよう、面接でしっかりと話し合いたいと言います。

「面談に来てくれた方には、良いことも悪いこともできるだけお話しします。しっかりと時間をかけ、私だけじゃなくて他の社員にも入ってもらって、いろんな意見を聞いてもらいたいです。うちの会社はこういうところが大変だけど大丈夫?と。最初にできるだけ話をして、それでもって方がお互い一番良いと思います」

昌栄工業

それでは、この会社の歴史についてもお話を伺ってみます。

両親が経営するこの会社に昌林さんが入ったのは、30代半ばだったそうです。もともとは継ぐつもりはなく、建築メーカーで働くサラリーマンを長年していました。

「元々、建築が好きで大学も建築でした。そのまま建築の会社に勤めたので、この会社に入るとは思っていませんでしたが、約20年前の1999年に帰って来ました」

長年働いていた会社を辞めて家業に入ったのは、工場が傾いていたことがきっかけでした。建築の仕事に未練はなかったのだろうか。

「バブルが崩壊した頃に、潰れそうになったんです。親は何も言わなかったけど、工場からの音が無くなり、家族に悲壮感もあってすぐ分かりました。だから、すぐ会社に退職届を出して辞めましたが、未練よりもここまで自分を育ててくれた親に、恩を返すのは当たり前かなと思ったんです」

昌栄工業

こうして会社の建て直しに戻ってきたが、そう簡単に状況が好転するわけはなく、ましてや他業界からの転職で、決してこの業界に明るいわけでもありません。

「会社の建て直しはほんと大変でした。取引先が立て続けに潰れたので、まず人材の追加はできない。むしろ給料が払えないから少なくなったくらいで、設備も増やせない。さらに会社のプレスの仕事のことをなにも知らなかったし、みんなは逆にプレスしかしたことがない」

「でも、ここのノウハウややってることは、きっとすごいとなんとなく感じたんです。それを転用できたのがよかったと思います。今の昌栄工業のやりたいことにすごく繋がったし、繋げて転用して世にないものを生んでいくのは、これから先も目指したいことですね」

工場が持つ技術やノウハウを信じ、自分ができることをひたすらやり続ける。すると、少しずつ仕事が増えていきます。

「いろんな人に会いに行って、この工場とは関係がないことも何でもやりました。それをきっかけに何かが生まれればと思って続けたら、少しずつ仕事が伸びていき、6年かけて全ての借金を返すことができました」

昌栄工業

およそ20年、会社の建て直しと発展に奮闘してきた昌林さん。

しかし、コロナ渦でふと立ち止まったことで、今まで気づいていなかった会社の問題や課題に気づきます。

「コロナになるまで私は、ほとんどこの会社にいませんでした。海外や日本の地方の工場を飛び回り、コロナで3年前くらいに帰ってきたら会社の中はガタガタ。いくら売り上げても採算制は低かったので、これを機にずっと社内にいることにしました」

会社に長く留まってみると、売上だけでなく、働く人たちの環境についてしっかりと考えるようになり、今は会社をキレイに整理できるように、倉庫を大改修している真っ最中。また、更衣室やトイレも男女兼用になっているので、そのあたりの整備も今後の課題だと考え、働く人を第一にした会社づくりは今もなお続いています。

昌栄工業

それでは、募集する方についても伺ってみます。

今回の募集は現場の作業員として働いてくれる方。プレス機を使った加工をはじめ、製品を組み立てる工員、金型を作る工員など、現場作業だけでもたくさんの業務がありますが、まずは一つ一つの作業を覚えるところから始め、感覚や経験をしっかりと積んでもらいます。

その後、さらにステップアップしたい方は、資材調達や工場の管理などさらに幅広い業務への挑戦も可能となっています。

この仕事は、プレス加工などの経験がなくても大丈夫でしょうか?

「やれると思います。ただ、今いるメンバーは全員が経験者です。当時やっぱり加工とか作業員の方の募集はたくさんありました。経験のあるないでもちろん給料は少し変わってしまうかもしれないけど、経験ではなくうちは人間性を最重要に考えていきたいです」

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現場で働く田中さんにもお話を伺ってみたいと思います。

田中さんは、もともと車関係のボルトメーカーにいて、開発に30年以上携わってきた方。そこからご縁あってこの会社にやってきました。

社歴は4年とまだ浅いながらも、これまでの経験を活かし、会社の品質管理や、工場の整備を主に担っています。以前は雑然とした工場もすっかりキレイに整備できるようになったのは、田中さんのおかげなんだそう。

この仕事において大変だと感じることはありますか?

「そりゃ仕事ですからね。大小いろいろありますが、苦痛に感じるのは瞬間的で、何度かやってるうちに段取りを覚えれば、やり方が分かってきますよ。何も考えずやるのが一番。大事なのはできたものの良いか悪いかを見極める目だと思います。あとは、やっぱり危険な作業もあるので、いつも自分の身の安全を考えてもらいたい。だから、逆に憶病な人の方が怪我しないんですよ」

どんな方と一緒に働きたいですか?

「私はやらされてるんじゃなくて、この仕事が好きですから。それなりに真面目で、この仕事に興味を持てる人が成長は早いし、そんな方と一緒に働きたいですね」

昌栄工業

続いて、製品の組み立てを担当する小山さん。今年ちょうど10年になるベテランです。

組み立てという仕事において、どのようなところにおもしろさややりがいを感じますか?

「自分が作ったものが、人の目に触れる仕事なんです。ここから出ていくのは直接お客さんの手に触れたり目に触れるので、それが一番いいですね」

「でも、逆に気を使う部分でもあります。見た目も大事ですし、触ったときに怪我しちゃいけない。使いやすいだけじゃなくてやっぱり怪我っていうのが一番怖いですから。そういうNGを出さないようには気を付けてます」

昌栄工業

不良品で返って来てしまうこともあるのでしょうか?

「今のところないですね。昔はそういうのもあったそうですが、一個あるだけでそのロット全て不良になってしまい、社員全員で全品検査をしないといけなくなります」

「プレス屋さんは、プレスだけして終わりが多いですが、うちはプレスして終わりではなく、箱入れして最後の出荷まで行います。それがそのままお客さまの手に渡ります。つまり完成品を作って世に送りだすので、組み立てと梱包は、きっちりとしていて細かい人でないと漏れが出ます」

昌栄工業

どの分野の製品でも、完成品まで仕上げることが出来るプレス工場。これは同業他社と比べても、この会社にしかない特徴の一つで、昌林さんは他にこういった工場を見たことがないと言います。

「工場を持っていない会社も、設計ができる会社もたくさんありますが、工場を持っていて分け隔てなくきちっとものづくりができ、まとめていく。他分野にも精通していて、ものを完成形に出来る町工場を私は見たことがない。やるのはすごく大変で効率も良くないけど、日本には小さいながらもこういう会社が必要です」

「だから、専門分野の加工屋さんでできないことも、昌栄なら最後の完成形までできます。間に立ちコーディネートして、まとめあげていくのが唯一無二です。ただ、挽物屋さんや切削屋さんのような専門会社をぐっと引き上げていくのがうちのやることで、そのためには多くの知識を持っておかなければならないので、働いている人はすごく大変だと思います」

昌栄工業

昌栄工業の複合技術の高さを特に表す製品が、琺瑯でできたキッチンツール「kaico(カイコ)」というオリジナルブランドです。

これは、琺瑯加工を専門に行うメーカーでも作ることはできないもので、ただものを作るだけでなく、デザイナーや加工会社などの間に立ち、そしてコーディネートができる昌栄工業だからこそ完成させることができた製品の一つ。

このブランド開発により、下請けだった昌栄工業は、およそ18年前にデザイナーや琺瑯メーカーと共同で開発に携わり、自社ブランドも持つ工場になりました。

「kaicoは、もともと大阪の琺瑯メーカーである協和工業さんが開発をしたものです。当時、琺瑯メーカーは自分たちでブランドを持っていなかったので、ちゃんとしたものを作りたいと、小泉誠さんというデザイナーと昌栄工業にお声がけいただいたんです」

kaicoの開発には、昌林さんのお父さんである現会長が当時携わり、みんなで試行錯誤を繰り返しながら一年をかけて立ち上げました。

しかし、その翌年に発起人でもあった協和工業がまさかの倒産。kaicoは存続の危機に見舞われてしまうのですが、協和工業の社長から「kaicoだけはどうしても世の中に残したい」という強い想いもあり、製造の昌栄工業とデザイナーの小泉誠さんに加え、販売会社としてフォームレディー、そして琺瑯を日東エナメルさんが引き継いでくれます。

しかし、その15年後には、その日東エナメルさんが倒産してしまい、途方に暮れる中、阪和ホーローさんが引き継いでくれたことで、kaicoは不死鳥のように蘇ることができました。

「発売元のフォームレディさんは、これだけの質のものを管理するのは大変なので、ほんとによく受けてくれたと思いますし、kaicoをホーロー加工するのは通常の倍くらい大変ですが、阪和ホーローの社長さんも琺瑯を絶やしちゃいかんと言って引き受けてくれたんです」

昌栄工業

こうしてさまざまな人の力によって支えられてきたkaicoは、今では約30アイテムものラインナップになりました。

その中でも特筆すべき技術が詰まっているのが、ドリップケトル。kaicoのドリップケトルは、絶対に他ではできない機能だと言い切る昌林さんだが、いったいどこがそこまですごいのだろうか。

「コーヒー業界は、コーヒーがメイン。器具は、見た目や少し細口になっているだけで、コーヒー抽出に必要な機能を備えた器具はなく、好きな人は自分でカスタムをしていました。でも、そこには課題もあって、それを全て解決したのがこのドリップケトルでした」

「そもそも、お湯が一投目に真下に出て来るというのは、物理学的に通常は無理です。お湯が吐出するので真下に出るわけがなく、湯量が多くても少なくても真下に落ちる。ここはミリ単位以下で調整し、湯口だけで200回以上は試作をしているので、未だに他のケトルでは絶対に無理です」

昌栄工業

できないものを実現したkaicoの事業は、会社全体として約2割を占めるまでの売り上げに成長しました。

さらに、コロナによるおうちごはん需要による伸びもあったがその一方で、建築業界の低迷により会社の売り上げは半分ほどに落ち込みました。さらに、今年に入って大幅な値上げに踏み切ったことで、さらに売り上げは激減。しかし、これには働いてくれている方たちの雇用と、ホーロー業界を守ろうという考えがありました。

「ある程度は予測していましたが、10分の1くらいに下がりました。でも、これまでホーロー業界は安く量産してどんどん無くなってきたので、率先してやらないとホーロー自体が無くなってしまいます」

「みんなにきちっと給料を払い、ホーローが現代の形や価格で認知される。それなりの金額のものが買ってもらえる位置にまで持っていかなければいけないし、それだけの手は加えてるつもりです」

昌栄工業

実際、日本でホーロー加工ができる会社はごくわずかしか残されていない。そして、このドリップケトルを作れる昌栄工業の熟練技術者もたった一人しかいない。しかも、高齢化も進んでいます。

ものの価値が正しく評価され、しっかりとした工賃を支払える流れを作ることは、この先も技術がしっかりと伝承されていくために必要なことです。

「今、給料は上がらないのに価格が上がる悪循環になっています。きちっとした工賃の元にものを売り、給料も高くしなければいけない。試みはちっぽけでも誰かがはじめないと。特にホーロー業界ではやらないといけない。数十円上げただけでは、働いてる社員まで届きません」

「だから、材料代が上っていくのを見越して、大きく値上げを決意しました。びっくりするような値段です。その代わりうちはしばらく値上げしないよう頑張ろうと思っています。また、コロナ渦の3年をかけて、人づくりと会社づくりをしてきたので、今期はV字回復させます」

昌栄工業

12人の少数精鋭のチームは、小さいながらもどこにも負けない技術と、そして強いチームワークで確かな製品を生み出し続けています。これから先、さらにさまざまな製品を作り出したり、技術を継承していくために、あなたの力を必要としています。

経験がないと踏み出しにくい世界なのも確かです。覚えることも山のようにあります。しかし、一緒に悩み自分事として考えてくれる仲間がいるこの場所なら、やる気があればきっと習得も早いはずです。

まずは、この会社で自分が働くことをイメージしながら、お一人お一人からじっくりと話を聞いてみてください。そして、合うなと思ったらぜひ挑戦してみてください。

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