一丁に魂を込める手仕事 石宏製作所
墨田区の最北端に、50年近く手作業にこだわり一丁ずつ丁寧に医療用鋏(はさみ)を作る鋏職人さんがいらっしゃいます。
人の命を預かる大事な医療用のはさみは、機械では決して真似することはできません。機械化がどんどん進んでも、これまで培った経験と勘を頼りに、今でも高品質なはさみを一生懸命に作り続けられています。
今回、訪れた石宏製作所の仕事場は、鐘ヶ淵駅より徒歩2分ほどの場所にある小さな工房。
手作りの医療用はさみを作る、石宏製作所
墨田区墨田にある小さな工房は、上が住居、下が作業場になっています。
カン、カン、カン、カン。
住宅が並ぶ細い路地を歩いていると、どこからともなくハンマーを叩く音が聞こえてくる。音が鳴る方に近づき一軒の住宅をよくよく見てみると、認可工場の看板が掲げられていて、初めてここが工場だということに気づきます。そのくらいこの町には町工場が溶け込んでいます。
恐る恐る扉の中をのぞき込んでみると、真剣な表情ではさみと向き合う職人さんの姿がそこにはありました。ちょっと声をかけるのをためらいながらも『こんにちわ』と挨拶してみると、作業中の手をすぐに止め慌てて駆け寄ってきてくれたのは、2代目はさみ職人の石田 明雄さん。
無口な職人さんをイメージしていましたが、石田さんの最初の印象は、ほのぼのとした雰囲気でとても物腰が柔らかい。とても気さくなキャラで、会ってすぐにその雰囲気に引き込まれてしまいます。
工房にお邪魔して、早速お話を伺わせていただきました。
はさみ職人 石田明雄さん
東京のはさみ職人は、文京区本郷に東京大学ができたことで、地方からたくさんの鍛冶屋さんが呼ばれました。そうして、次第に医療機器を扱うお店や鍛冶屋がこのあたりには増えていったという背景があります。
広島県出身の石田さんのお父さんも、東京にやってきてはさみ工場で修行を積みます。そうして、1970年に独立して創業したのが『石宏製作所』です。その後、息子の石田さんが工房を本格的に手伝うようになったのは、1992年のこと。創業当時から、石田さんが引き継いだ今でも、変わらず医療用のはさみを作っています
医療用のはさみは、血管を切るもの、口の中を切るもの、へその緒を切るもの、小児用の子供の手術用といった外科専門医が扱うもので、人体の奥の方を切れるように長くなったものもあれば、狭い箇所でも使える小さなものや、血管を傷つけないように先が丸くなったものなど、実にさまざま。
こうした医療用のはさみを作ってるところは、都内では数十件ほど。日本鋼製医科器械同業組合に加盟しているところに至っては、墨田区にはわずか2件しかないといいます。
工房にあったはさみをずらっと並べていただいた。形状もサイズも実にさまざま。
石田さんは、子供の頃からこの仕事をやろうと考えていたのでしょうか?
「高校には行きたくなかったので、中学を卒業したらやろうと思ってました。けど、親から高校くらいは行きなさいと言われて、墨田工業高校に行きました。でも、卒業する頃には、やっぱりすぐにはこの仕事はいいかなって思ってました」
小さい頃からものづくりや細かい作業が好きだった石田さんは、高校卒業後も工房には入らず、働き始めた別の会社は今とは全く違う仕事でした。
「1年ほどロゴマークなどを描くレタリングの学校に通って、そのつてで版下を作る会社に就職しました。そこで3年間ほど、デザイナーさんが考えた地図やグラフィックを線で描くフィニッシューワークという仕事をしていました」
今とは全く違う仕事だったんですね。その後にこの仕事に就くのでしょうか?
「趣味でウィンドサーフィンをやってたんです。 そこで知り合った友達にサイパンで合宿するから、仕事辞めて一緒に行こうよ!って言われて、辞めちゃいました(笑)それも、3年働いてある程度のことは身についたって勝手な理由でした」
「ただ、はさみの仕事はすぐに身に付くわけではなく、最低でも3年はかかるので、その当時23歳で逆算して30歳までに手が追いつくようにするにはちょうどいいかなって」
手ぬぐいを頭に巻き、キリッとした表情に変わる石田さん。あぐらで膝に手を置くとやりやすいんだそう。
子供の頃から、袋詰めやボール盤で穴を空けるといった簡単なお手伝いをしていたそう。
実際に仕事として働くようになってどうでしたか?
「嫌でした。すぐに手に付くものでもないし、思ったよりできなかったですし。あと、全部の工程をできるわけじゃないので、つまんないんですよね」
「輪っぱの部分だけをひたすら毎日毎日削るだけで、つまんないな、他のもやらしてほしいな。って思ってました。でも、重要な部分はやっぱりやらせてもらえなくて。大事な内側の裏刃という部分をいかに均一に研げるかがとても大事なので、入ったばかりの人にやらせるわけはないので当然なんですけどね」
研磨中の火花はこっちの方まで飛んできそうな勢い
そうして、下積み時代も6年が経った頃のことです。
1998年にお父さんが他界され、石田さんに技術の継承をできていなかった石宏製作所は、廃業の危機を迎えます。
石田さんが、29歳の時だったそうです。
「父親も自分がそうなると全く思ってなかったでしょうし、62歳でまだまだこれからで徐々に教えればいいと思ってたんだと思います。この業界は、70~80歳でも現役でやられている方もいますので。だから、当時はやっと荒削りをやらせてもらえたくらいで、どうやって組み合わせたり、調整をすればいいのか何も分からず、途方に暮れました」
そんなあまりにもひどい状態を見かねて、声をかけてくれたのは同業者の方で、お父さんから学べなかった技術を、徹底的に叩き込んでいただいたそうです。
「教えてあげるから工場へ来なさいと言ってくださって。何ヶ月も中野まで通って教えてもらいました。叩き方も、叩く場所も、叩けばどうなるかすらも分からなかったので、ほんとうにありがたかったです」
加工前の鍛造品。ここから石田さんの仕事がスタートします。
はさみづくりの工程は、大まかに説明すると元になる素材の鍛造品を『加工』、『熱処理』、『研磨』、『組立・調整』、『外観・調子』の順番に行い、そうしてようやく1丁のはさみが完成します。
簡単に見えるはさみ作りですが、そのほとんどを手間がかかる手作業で作るやり方は、ひと月に200~300丁程度しか作ることができません。
使われている材料は、SUS420J2というステンレス。通常のステンレスには鉄分が入っておらず、熱処理ができないのに対して、これは医療用の熱処理が可能。熱を入れただけでは固くなるだけで少しの衝撃で割れてしまうため、1030度で2時間半かけて熱処理した後、180度で3時間半じっくり低い温度で焼戻しをすることで、固い上になおかつ粘りが出て強いはさみになります。
鋏職人のこだわり
はさみを作る際、どこに一番こだわられているのでしょうか?
「一番は、スムースな噛み合わせになるかがとても大事で、切れ味は最後なんです。かみ合わせができないといくら刃を付けてても切れません。刃が付いているから切れるんじゃなくて、かみ合わせがスムースだから切れるんです。極端なことを言うと、かみ合わせができてさえいれば、刃が付いてないものでも紙を切ることができます。だから、切れないはさみは、かみ合わせが悪いということです」
はさみは、均一に削るというのがとてもむずかしい。真っ直ぐに見えて、実はちょっとふっくらと膨らみ尚且つひねりが加えられている。これがとても大事で、安定してできるようになるまでが、なかなか体に染み付かないそうです。
気づきにくいが石田さんのはさみは、たったの1点だけしかあたっていない
「この1点だけがあたるように作りたいんですよ。刃の一点と一点。ぺたっと全体があたるんじゃなくてお互いが点であたるように丸く削っていきます。面であたっているものは重いのに対して、1点だけしかあたっていないものは軽いんです。これもどうやってやれば作れるのか、最初はすごく悩みました」
ハンマーで叩く台(治具)は石田さんの手作り。
驚きだったのが、どれくらい叩けばいいか、どのくらいの角度で曲げればいいかというのは、数値では言い表せないため、経験と勘だけで作られていて、まさに職人技です。
「やってると必ず見えてきますが、叩き方も曲げ方も削り方も、全ては大体なんです」
長年やっていても、うまくいかないときもあるのでしょうか?
「それはありますよ。叩きすぎちゃったりとか、気分が乗らないときとか。そういう時は、ちょっとぼーっとしたり、スマホいじったり。そしたらまた叩くんです。誰も注意してくれないので、自分で自分を奮い立たせないといけないので、あとはひたすら叩きます」
この仕事を辞めようと思ったことはありますか?
「辞めたいと思ったことはありますよ。でも、辞めてもやることがありません。じゃあ、明日から別のことができますか?と言われてもできるわけない。ずっとここまで培ってきた感覚が、すぐに身につくかというとそうじゃないし、唯一これでちょっとはお金をいただけますから」
技術を残したい
石田さんのもとには働きたい、この技術を習いたいと門を叩く方も多いのでしょうか?
「習いに来たいという人もいましたが、うちは給料が払えないのでお断りました。他で生計たてて習いに来るならいいですが、それはやっぱり辛いですよね。やりたいって言って好きで入っても、なかなかうまくいかないこともあります。それは、どこの職業でも一緒だと思うんです。だから続けるって難しいですね」
「それでも同業者で息子さんがやりたいという人もいて、ゼロじゃないですし体験して楽しいと思ってもらって、やりたいと思う人が出てくればうれしいですね。この技術をどう今後残していくか、そこは今後も課題です」
業界的に、後を継ぐ方は少なくなっているのでしょうか?
「そうですね。あと自分の子供には継がせないってところもありますね。輸入物も増えてきてますし、一定の収入があるわけじゃなく、波もやっぱりありますから」
このまま石田さんのようなはさみを作れる職人さんが減っていくと、日本製はなくなり海外からの輸入ものになってしまいます。また、日本製に比べて安価なため、職人さんが一生懸命作り上げたとしても安い海外製品を選ばれてしまう現状があります。
使う人の反応が感じられるものづくりへ
風合いのあるハンコが押されたパッケージはデザイナーさんと一緒に考えたもの
石田さんへの依頼は、全て問屋さん経由。医療用のはさみは、販売業を持つ問屋を通す必要があり、エンドユーザーとなる病院へ直接販売したりやりとりすることはなく、直接お客さんの反応や感想を聞くことはほとんどありませんでした。
そうした中で、お客さんの反応が感じられるオリジナル製品を作り始める大きな転機となったのは、墨田区役所が主催する『すみだモダン』。たまたま知り合いの紹介で知り、ものは試しで申し込みをしたところ、医療用ではなく一般用として作ったオリジナル商品の『はさみ』が2011年に受賞、さらに2013年に『無垢鋏(MUKU)シリーズ』、2016年『職人が大切な人に贈ったはさみ』も受賞。
「医療用のはさみは、なにが残念かと言うと使ってる場所を見たことがないんです。せいぜいテレビドラマでしか。お医者さんに聞きに行けるわけでもないので、使ってる方の声が聞こえてきません。でも、『すみだモダン』に出してみたり、『スミファ』でここに来てもらったり、『ギフトショー』などの展示会に出るようになって、直接触ってもらって『よく切れる!』と言ってもらうのは嬉しいし、はじめて出た時はそれがうれしくてうれしくて。使った人の言葉を直接聞けるのはほんと嬉しいんです」
パッケージには、デザイナーさんが関わられているそうですね。
「もともとパッケージもなく、欲しいという人にはビニール袋に入れただけの状態で渡してたんですけど、これはちょっとひどいなって。それで、区のパッケージをデザインしてくれる事業に申し込んで、できるだけ安くできるように一緒に試行錯誤してもらいました」
そして、2012年には東京スカイツリー開業の際のテープカットに『裁ち鋏』が使われるなど、認知度が一気に高まりました。
「スカイツリーでテープカットしていただいた時は、ほんとに切れるか心配で妻と一緒にこっそり見に行きました。ちょうど雨が降る中、人混みの隙間から見守っていて、無事に切れた時はほっとしました」
「その後、テレビ局から電話がかかって来て、取り上げてもらったのは大きかったですね。あれでみなさんに知ってもらえて、日本全国の人から電話をいただきました。でも、在庫を用意してなくて3ヶ月待ってもらったんですけどね(笑)」
どんなに小さな仕事でもお客さんの要望に応える
すみだモダンや、東京スカイツリーの反響から、オリジナル商品を作りたいという依頼が石田さんのところに徐々に入るようになってきます。
その中の一つが、この黒く染められた眉切ばさみ。
「ステンレスの黒染めは、新潟の方でやってもらっています。眉切りばさみを作ってほしいと依頼された時に、黒く染めて欲しいという要望があってできるところを探しました。黒く染めたのは、白髪の人を切るのに光って見えないからだったみたいです」
石宏製作所の強みはなんと言っても、多品種少量生産。小ロットでの依頼がほとんどで、多くても数百ほど。個人での依頼も可能で、この眉切りばさみは、わずか5丁だけの生産だったそうです。
お客さんからの指示は、なんとハガキで届いたそう。
小ロットにも関わらず、普段とは違う難しい依頼を受けるのはなぜでしょうか?
「どう作ればいいか悩んだりもしましたが、作ること自体は他のものと変わりません。ただ、眉切りばさみは、長さが合う材料がなく、限りなく近い材料でも長さが違ったので、切って溶接してもらうところから始めたので、手間はかかりました。でも、うちは1個からでも作りますよ。他のと一緒に作ればいいだけだし、せっかくお願いしていただいてるので、あまり断らないようにしてます」
この言葉どおり、修理も基本的にどんなはさみでも受け付けてくれるそうです。
これまでの医療用のはさみとは違う、これまでになかった新しい取り組みを少しずつはじめた石宏製作所。お父さんから引き継いだこの工房を守り続けるために、石田さんの挑戦はこれからも続いていきます。
企業名 | 石宏製作所(いしひろせいさくじょ) |
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住所 | 〒131-0031 東京都墨田区墨田5-48-10 |
TEL | 03-3614-3292 |