2018.04.15(日)

下町の小さなカフェの物語

東向島珈琲店

この町で働きたい。
そんな風に思ったことはありますか。

飲食店は、地域で働く方の仕事を直接見ることのできる身近な場所です。まずは、そんな地域の仕事を見たり、そこに根ざして働く方たちの話を聞いてみることから、地域との関わりは始まるのかもしれません。

道に迷ったら近くのお店の扉を開いてみてください。そうすれば、少しだけ世界は変わるかもしれません。

東向島珈琲店

東向島珈琲店

東向島珈琲店は、東向島一丁目の水戸街道沿いで10年以上も営業する小さなカフェです。手前の1階スペースは、陽当りが良いカウンターとテーブル席。階段を上がったところにソファ席、さらに奥へと進んだ落ち着いた空間の2階席からは、公園が見下ろせます。

昨年、Time Out Tokyo『LOVE TOKYO AWARDS 2017』にて、見事BEST CAFEに選出され、その名前は墨田に留まらず世界へと広まり始めています。ヒガムコという相性でこの地域から愛されるカフェは、今では世界中からお客さんを墨田区に引き連れてくる、地域のアイコン的な存在となりました。

今年12年目に入ったこのお店の歩みと、これからを見据えた将来のお話を伺ってみました。

井奈波 康貴さんは、専門学校を卒業後、ホテルに就職しサービスを学びます。その後、神田にある高山珈琲で2年間修行を積み、東京都内の他のお店で6年ほど店長を勤めた後、2006年11月に『東向島珈琲店』をこの場所にオープンする。32歳の時だったそうです。

店名には、この地名の名前が付いています。当時、こうした地域の名前を付けるお店は珍しかったそうですが、ここ数年の間に次々と増えたように思います。

「根付こうとか、その地域の方に喜ばれたいって気持ちはすごく強くて、最初は東向島一丁目珈琲店にしようと思うくらい、愛着のあるネーミングにしたかったんです。ただ、最寄り駅は曳舟駅だから、間違えて東向島駅で降りてしまう人も多いようですけどね(笑)」

墨田区出身の井奈波さんは、地域に対する気持ちも強いが、当初開業を目指し物件を探していたのは、別の地域だったそうです。

「週に一度、当時働くお店が終わると、自転車で谷根千に行き物件を探していましたが、自分がよく行くお店がここにはあって、役割がないと思って辞めました。上野や湯島、浅草でも探したものの、商売の仕方が分かりませんでした。それで、墨田区で一軒目に出会ったのがここでした。以前も喫茶店で、奥は豆を焼く場所でそこの擦りガラスを開けると公園が見えて、ここいいなって思ってすぐにハンコを押しました」

東向島珈琲店

なぜ最初から地元である墨田区で探さなかったのでしょうか?

「その頃スカイツリーはもちろん、このあたりは何もなかったんです。でも、ないなら需要があるし、喜んでもらえると思いました。ところが、オープン直後いろんなお客さまから『よくこんな激戦区に作ったね』と言われてびっくりしました」

「今まで気づいてないだけで喫茶店をはじめ、地域でコミュニティが語らう場所が確かにいっぱあって、大事にされてるんだなってことが、オープンしてから分かりました」

その頃は、今のような繋がりはあったのでしょうか?

「向島では、アート活動が盛んに行われていて、そういう人たちがオープン後すぐ来てくれて繋がったので、墨田区でお店ができたのは、すごいよかったなって思います」

東向島珈琲店

地域に改めて目を向け、たくさんの方と繋がっていく中で、井奈波さんは人と人を繋ぐハブとしての役目を担い、お店は地域の情報が自然と集まる場所になりました。こうしてこの場所をきっかけにして、地域や人と繋がりを持つ人が増えていきます。

お客さんとの関係で、心がけていることはありますか?

「やっぱりご縁でうちに来てくださったわけなので、距離感は大事にしています。距離を縮めて行ってようやく繋がる人もいれば、突然繋がることももちろんあるし、繋がらないこともあります。繋がる店やコミュニティカフェといくら他者が言っても、それは相性もあります」

人と人が繋がるお店。そう言われることについてはどう思いますか?

「そうだとは思います。けど、いらっしゃる方のスタンスで温度差はあって、なんでもかんでも合う人もいれば、チューニングが合わないとか、うまく奏でられないなってことはもちろんあります」

東向島珈琲店

これまでに、印象的だった繋がりはありますか?

「それは多々ありますし、繋がった実績だけじゃなくて、まだ芽が出てないけど息吹やその兆しは、今でもいっぱいあるんじゃないかって思います。これからも、そういうことはどんどん続けていきたいです」

直接的な売上には繋がらないことのようにも思いますが、そういう役割を担うようになったのはどうしてでしょうか?

「良いことをしたいなってだけです。うちは、回り回ってもお茶を飲んでもらうぐらいしかないですし。でも、ここがきっかけでいろんな方が繋がったり、墨田区に来てくれたらそれは墨田にとっても良いことなんじゃないかと思います」

「お客さまの中には、ここがきっかけで墨田区に引っ越してきた方もいて、そうすると住民が一人増えます。そんな方が他にもたくさんいるかもしれなくて、カフェってお茶を飲むだけじゃない気がします。何に作用するかは分からないけど、良いことをしれいれば、何か返ってくる。そんな気持ちでずっとやってます」

時間・空間・仲間

東向島珈琲店

『時間・空間・仲間、この3つが当店を通じてより良くなっていきますように』
オープン当時から変わらない、東向島珈琲店のコンセプトです。

このお店を初めて訪れたのは、今から5年前のことです。この看板の文字を読んで、そして扉を開けた時、不思議とこの言葉がすっと胸に入ってくるような感覚になったことを今でも覚えています。そして、そこからたくさんの出会いに恵まれたことは言うまでもありません。

「これは、東大の先生の本を読んですごい感銘を受けました。そこには、真っ白な人は伸びるから、馬鹿になって常にその感覚を養いなさい。そして、良い時間と良い空間を過ごして、良い仲間がいれば健康だと書かれていて、『これだ、こういうお店にしたい』と思いました。そうすれば、ぼくも常に真っ白で馬鹿でいられて、毎日リセットできる。ずっとまっさらな気持ちでいられるのは、この本のおかげです」

地域のチャレンジを後押しする

東向島珈琲店

東向島珈琲店は、店内を使いたいという人にチャレンジの場としても提供をしてきました。スペースのシェアは、今では当たり前に多くの店舗で行われていますが、この言葉が一般的でない頃から、既に実践されていました。

一つは、時間帯によって店主が替わる二部制。かつて営業終了後の20時以降には、第二部として別の店主がバーを営業したり、カフェや雑貨店に花屋が併設されたスタイルも今では多く見られますが、以前ここにも花屋が併設していました。また、水曜日の定休日に、スタッフだけでお店を開けさせ運営を任すといった試みもありました。

そして、この空間を存分に使った表現の場として、月替りでクリエイターなどに場の提供を行い、毎月空間が変わるさまざまな展示はここの特徴でもあり、出展者の募集が開始されるとあっという間に、その年の12枠が埋まってしまうほど、注目度の高いスペースでした。

「シェアとかそういう気持ちはあまりなかったし、理解されようとかマネタイズとかは考えてなかったです。この方がお互いいいよねくらいで、全部チャレンジする歳だったんじゃないかな。不安だし、経済的な部分で按分できるのもあったと思います。だから、今の若い人たちがやってるのもよく分かります」

しかし、二部制営業、他店舗シェア、これらは今は行われていません。また月替りの展示も、2017年からは毎月ではなく、回数を減らしより趣向を凝らした展示のみを行う形に変わりました。これにはどういう意図があるのでしょうか?

「イベントのきっかけは、時間もあって飲みたいよねってことで『気ままナイト』というイベントを閉店後に始めたことでした。当時は、企画を決めてmixiで募ったら30~40人来てくれて、そうしてみんなの絆ができていきました。だけど、今では他でもいっぱいイベントをやってるので、うちじゃなきゃって人だけでいいなと思っています」

全てはお客さまの要望から

東向島珈琲店

東向島珈琲店には、美味しいスイーツが数多くある。その中の代表的なメニューの一つ『レアチーズ』は、べースから季節のフルーツソースまで、全て手づくりで提供されているこだわりの一品で、2012年にはすみだモダンにも認証されました。

この商品は、どのようにして生まれたのでしょうか?

「オープン当初、スイーツは出していませんでした。でも、サンドイッチとフレンチトーストだけでは重くて『珈琲と合う甘いのはないの?』という要望がありました。じゃあ、何がいいかなと思った時に、美味しいレアチーズはあまり聞かないので、そこを目指したいと思いました」

アイスクリームのような丸い形が特徴的ですが、なぜこの形になったのでしょうか?

「ないものを作りたかったからです。それと、一般的には下にクッキー生地が敷かれていますよね。焼き菓子はすごく儲かるので、これだと原価は高くなりますが、ぼくはあれ合わないと思っていて、レアチーズとフルーツソースだけで食べたいと思ったのがきっかけです」

最初に作ったものは、盛り付けると崩れそうなくらい今よりもふわふわしていたそうです。しかし、スタッフが増えた場合や、他店へ卸すとなると、継承することが難しいと考え、少し固くしたり、保存が効くようにしたりと改善を繰り返し今の形になったそうです。こうした努力の甲斐あって、今では他のお店でも提供が始まっています。

お客さんの要望から生まれたレアチーズ。こうした要望を叶えて喜んでもらいたいと生まれた商品は他にもあります。

東向島珈琲店

『下町の小さなカフェのドレッシング』もその一つです。こちらも、2015年にすみだモダンに認証されています。

このドレッシングは、もともと店内で出すサラダにかけて提供されていたものですが、『自宅でも食べたい』そんな声が増えて、商品化に繋がったそうです。

このドレッシングのパッケージは、鮮麗されつつもどこか懐かしさを感じる。こうしたデザインにも、東向島珈琲店の人気の理由の一つがあります。それは、地域の資源をうまく活かしたり、巻き込みながら一緒に取り組みを行っているということ。

例えば、このドレッシングの瓶は、墨田区にゆかりのあるデザイナーさんに依頼をし、活版印刷で刷られたシールの貼り付け作業も、区内にある福祉作業所にお願いをされています。

お店の外に貼られた看板もそう。近くにある今でも鋳造で鋳物製品を作る、歴史ある会社に依頼をした真鍮の看板です。商品のパッケージやお店の装飾を見ていると、たくさんの物語が積み上がってお店はできていて、そこから地域のさまざまな仕事を垣間見ることができます。

東向島珈琲店

レアチーズは、満を持して2018年よりテイクアウトが始まりました。もちろん、これも『お持ち帰りできませんか?』というお客さんの要望からでした。しかし、前日までの予約が必要で、その場で買いたいという方にとっては少しハードルが高いように感じます。

「マーケットはすごく小さいけど、広げることを最初に狙うと専属スタッフを2~3人雇わないといけなくて仕方がないのが現状です。マーケットを全て受け止めようとすると、ぼくの人生観とか経営とはちょっとずれてしまいます。だから、今は事前予約制だけど、少しずつ広げる努力はしていけたらいいなと思います」

レアチーズの、今後の展開についても聞かせてください。

「視野としては、今交流のある台湾の方にももっと喜んでいただきたいですし、他の国の方にも喜んでもらえるなら、広めていきたいと思っています。そして東京では、店内での提供と事前予約制のお持ち帰り、そして卸売りで評価を得ることを努力し、頑張っていきたいです」

次の10年に向けて

東向島珈琲店

図らずも珈琲激戦区でお店を出してしまった、東向島珈琲店。あれから12年が経ち、今ではこの地域にやってくる新しい人やお店を、迎え入れる側の立場になりました。

「新しくお店を出される方と一緒に努力して、お互い良くなっていきたいです。そうした地域の人たちと一緒に個々の魅力を高めて努力していった結果、それが地域の魅力となるようにしたいです」

これまでの動きとは大きく変わったということはありますか?

「新しくお店を建てたいけどどうしたらいいかの相談や、オープンするカフェのスタッフを研修で受け入れたり、ようやく蓄積したノウハウでお役に立つことができる。会社で言う中間管理職みたいな感覚で、ただ一生懸命お店を頑張るだけじゃなくて違う役割ができて、それが仕事になってきました」

2016年に10年を迎え、翌年には1階スペースを中心に店内の改装工事が行われました。席数は4席減り、木目の壁でシックな印象だった店内は、漆喰で明るい雰囲気に大きく変わりました。その後も、徐々にブランディングは変化しているように思います。

リニューアル記念の缶バッチ

東向島珈琲店

リニューアルに合わせて珈琲豆のパッケージも刷新

「意識して変え始めたのは改装からです。楽しめることを楽しくやっていますが、よりお客さまに喜んでもらいたいという気持ちと、スタッフがより働きやすい環境、そして自分自身の人生観を考えた結果、改装に踏み切りました」

リニューアルオープンをしてみて、お客さんの反応はどうですか?

「世の中すごいスピードで変わっていて、近所のそのままでも人気なお店でも移転や改装をされ、よりお客さまに喜んでもらいたいと思う店舗さんが当店だけではないということを感じました。言葉では表せないけど、動物的な勘がありました。だから、うちも改装して逆に席を減らしたり禁煙にしたり、変だと思われるかもしれないけど、理屈じゃない気がしています」

ケータリングユニット
氵(さんずい)

2017年には、仲間たちとともにお店を飛び出し、新たな取り組みをスタートします。
墨田区のお店では、3年先輩にあたるスパイスカフェの伊藤 一城さんと、ディレクターの村手 景子さんの3人で、ケータリングユニット「氵(さんずい)」を立ち上げられました。

スパイスカフェと東向島珈琲店のデザインも手がける村手さんが、全体的なディレクションや付随するデザインを、伊藤さんはフード、そして井奈波さんがスイーツを担当する。2017年には北斎美術館が一周年を迎えるにあたり、記念パーティーでケータリングを担当。そして、2018年は日本橋のCITANでイベントも決定するなど、注目が高まっています。

「すみだ川ものコト市の創世記の頃、スパイスカフェと一緒に出店させてもらって、それからすごく信用してくださってお話をいただいたことがきっかけです。我が道を行く方なので、一緒にやろうと言われた時はすごくびっくりしましたが(笑)」

この活動は、どこを目指し何を目的に活動されているのでしょうか?

「明確にはあまりなくて、ケータリングでスパイスカフェと東向島珈琲店の料理を食べてもらうことと、村手さんのディレクションを楽しんでもらうことが、まずメインです。それでお店に来てもらえたらいいなと思います」

「これは、筋トレだと思っていて、やったことがないことをやって、こういう筋肉あるのかな使えるのかなと試してみて、そして経験したことを持ち帰ってお店で使う。できることだけをずっとやってるのって悔しいし、やってみないとできるかどうか分からないからそういう場です」

台湾での活動

東向島珈琲店

台湾で先行発売されたオリジナル商品

最近は、台湾とも積極的に交流をして世界へ向けて発信をしています。富錦樹(フージンツリー)とご縁ができて、2016年には期間限定メニューでレアチーズを提供したことで、2017年にはレギュラーメニューに選ばれ、Culture And Art Book Fair in Taipeiに参加。そして、2018年はCulture And Coffee Festivalにも参加をし、精力的に台湾との交流を深めています。

こうした台湾の活動は、どういったきっかけから始まったのでしょうか?

「インバウンドでたくさんの台湾の方が来てくれたことが、とても嬉しかったんです。しかし、その当時、自分の台湾のイメージは高校の卒業旅行で行く国ぐらいでした。ではなぜ、台湾の人は来てくれたんだろう、台湾のことをもっとちゃんと知りたいと思いました。そして、行ってみたい!とアプローチをしていたところ、いろんな人が自分と台湾を繋げてくれて、出会い、今の活動に繋がっています」

こうして台湾でレアチーズの提供が始まり、それをきっかけに海外からお店に足を運んでくれる方も増えているそうです。

地域に根付き、やがて世界へ

東向島珈琲店

地域とともに歩んできた、東向島珈琲店。

最後にこんな質問をしてみました。
もしも今の時代、一からカフェを出すとしたら、今からでもやろうと思いますか?

「やると思います。でも、ちょうど時代が変わろうとしている最中なので、アウトプットの仕方は変わるかもしれない。ぼくがオープンした時はサードウェーブはなかったけど、珈琲を飲む人たちやそのシチュエーションは以前よりも増えてて、今後もより増えていくと思います」

東京には数え切れないほどのカフェや珈琲屋さんがあります。以前からは考えられないくらいのブームになり、週末にもなると人で溢れるお店も少なくありません。しかし、10年以上続くお店は、その中でも極わずかです。

これだけカフェがある中で、Time Out TokyoのBEST CAFEの受賞は、まさに奇跡だったのかもしれない。しかし、井奈波さんの働く姿勢を見ていると、愚直なまでにサービスと向き合い、そこに妥協はない。コツコツと毎日を丁寧に積み重ねてきた10年があったからこその、当然の結果だったようにも思います。

小さなカフェの小さな積み上げが、ようやく世界から評価され、そしてこの墨田区へ人を呼び寄せるとても大きな力となり始めています。

店舗名 東向島珈琲店
住所 東京都墨田区東向島1-34-7 1F
アクセス 東武線「曳舟駅」徒歩5分
京成線「京成曳舟駅」徒歩10分
電話番号 03-3612-4178
営業時間 8:30~20:00
定休日 水曜

その他の記事

PAGETOP