墨田区にこだわる理由 岩井金属金型製作所
墨田区は、かつて一万軒を超える町工場があり、ものづくりの町として栄えてきました。しかし、取り巻く環境の変化によって、その数は年々減少の一途をたどっています。
墨田区八広にある『有限会社 岩井金属金型製作所』も、建物の老朽化によって建て替えを余儀なくされ、同じ場所で再建をするのか、それとも別の地域に移るのか、厳しい選択を迫られることになりました。
この話を知ったのは、リスクを取ってでも墨田区に工場を再建し、また新たな道を切り開く。そう決意され2017年11月の建て替え工事に向けて動き出された後のことでした。
今回、すみだの仕事でこの場所の記録を残させていただくことになりました。取り壊しが始まる1週間ほど前に、二日間に渡って工場をくまなく撮影させていただきながら、これまでのことや建て替えについてお話を伺いました。
昭和10年に創業し、82年という長い歴史を持つこの建物の最後の記録です。
ぜひ、ご覧ください。
クリーム色の建物とえんじ色の看板が目印
墨田区八広にある、金型製造とプレス加工を行う『有限会社 岩井金属金型製作所』と出会ったのは、2015年3月のこと。
下町を代表するような家族経営の小さな町工場に、初めて正社員の従業員を迎え入れたいと取材の相談をいただいたのが、最初の出会いです。今でこそたくさんの町工場のお話を伺ってきましたが、取材で訪れた中では2番目の工場でした。
しかし、たくさんの期待を込めて出した募集は、待てど暮らせど応募はありませんでした。
掲載期間の6ヶ月をまもなく迎える頃には、「やっぱりうちで働きたい人なんていないんだ」と諦めの声が漏れ、半ば諦めムードが漂い始めていたところ、締め切りの3日前にようやく1件の応募が届きました。
そして、この工場に初めて正社員のスタッフを迎え入れることになりました。
この工場の印象は、初めて取材で伺ったあの日も、何度も伺うようになった今でも、いつでも暖かく迎え入れてくださり、とにかく『アットホーム』という言葉に尽きます。この建物ができた時代を知らなくても、昔から知っているような感覚がします。
思えば、下町らしい家族的なご近所付き合いに触れることができたのは、このときが最初だったのかもしれません。
下町の小さな町工場
小さな部品も一つ一つ手作業で作るものも多い
昭和10年に先代によって創業された同社は、現在3代目である岩井保王さんが代を引き継ぎ、2代目で現会長の巳代治さんとともに、毎日ひたむきに製造に取り組まれています。
ここでは、プレス用の金型を制作するとともに、それを用いて加工をもこなすメーカーで、一般的な製品だと、化粧品やライターのケースから、パソコン部品やランドセルの金具、灰皿といった製品を作っています。
製品を作る上で欠かせない金型の設計から、最終的な製品にするまでを自社で行え、プレス加工の試作品の製造はもちろん、量産、二次加工、組立てまでをフレキシブルに対応ができます。そうした技術を活かし、簡易金型で短納期、低コストなプレス加工、少量ロット製造や試作品製作ができる点もこの工場の大きな特徴の一つです。
大型の機械を用いて何千何万単位の大量生産をするのではなく、都内の利便性や幅広いネットワークを活かし、小さくても多種多様で他が作れない製品を高品質で生み出しています。
この場所で、これまでもこれからも
昔は3つの家が並んでいて、それを繋げて今の形になったそう
窓が多い1階は明るさを取り込める一方で、強度が弱かった
そんな工場が、建て替えを決意したのは、今年になってのこと。
建物の老朽化や窓が多い造りは耐震強度が弱く、建て替え自体はやむを得ませんでした。ですが、地価が高く土地の面積も少ない都内で、工場を再び建てるということは、とても大変でとても難しい選択。
同じ場所にもう一度建てるのか、それとも地方へ移してしまうかの選択肢で非常に悩まれましたが、最終的にはたとえコストがかかったとしても、ここでの再建を決意されました。墨田区でまたやりたい。その強い想いからです。
そのことを保王さんは、こんな風に話します。
「地方への移転も考えました。地方は土地が安いから工場を広くできて、大型の機械をたくさん並べることができるかもしれません。でも、そういう仕事は3年も経つと値段が下がって、海外に行ってしまうことが多いんです」
「確かに東京は土地は高いけど、墨田区は周りにたくさん技術者が集まってて、コンテンツの宝庫。しかも自転車で行けるくらいアクセスがいいから、ここでやらない手はありません。うちはうちでしかできないことをここでやっていく。それは、常に違ったことや新しいことなので、大変だし楽はできないですけど、それが性に合ってると思うんです」
続けていくために、変わっていくこと
3人の娘さんを育てる母でもある、岩井光恵さん
女性ならではの細やかで丁寧な手つき
撮影をしていると、工場の中でいくつか大きな変化が起こっていることに気がつきました。
ひとつ目は、保王さんの奥さまである光恵さんが、現会長である巳代治さんの仕事を本格的に手伝うようになったこと。以前も細かな作業は手伝っていたものの、今では慣れた手つきで大きなプレス機を扱う姿が見られました。
「父の年齢が75歳だということにはっと気がついて、今は元気でもさすがにいい歳になので、パートを辞めてここの仕事を引き継ぐことを決めました。でも、手伝うようになって分かったのは、いろいろなことを複合的にできるからこそやれるグレードが絶対的にあるということ」
「例えば、言われた通りやればできるスタンダードなものは、教えてもらえば誰でもそこそこはできるけど、何かトラブルがあった時に、気がついたり原因が分かる引き出しの多さが、やっぱり私では敵わないんです。だから、あと30年は頑張って見守ってもらわないと困ります(笑)」
巳代治さんのように、長年この仕事に就いていると、百分の一やコンマ一ミリレベルの違いを、音と見た目から感じ取ることができ、それは言葉や説明で容易に伝えることはできない。
今も工場の要である会長の岩井 巳代治さん
まさに職人技の研ぎ澄まされた感覚は、測定して間違いに気づくというよりも、違和感のように感じ取れるそうです。その技術や感覚は、衰えることなく未だ現役で活躍されています。
光恵さんが仕事を引き継ぐことを決意したのには、こんな理由もあると保王さんは言います。
「親父の仕事は、うちの看板みたいなもので、そのおかげでいろんなところから引き合いがあると言っても過言ではなく、それが無くなってしまうのは大打撃なんです。俺もできますが、他のこともあって手が回らず、そのことを奥さんに話したら私がやるって言ってくれて。でも、非常に器用で細かいので、そう言ってくれた時にはぜんぜん心配はしてなかったですね」
以前、すみだの仕事から入社された方が書いたメモ
機械が今何を作ってどういう工程かがひと目で分かるボード
そして、もう一つの大きな変化。
それは、冒頭でもお伝えしたように、すみだの仕事から初めて従業員が入社してくれたこと。残念ながら既に退職されてしまったそうですが、未経験の方が入ったことでも大きな変化がありました。
技術的なことはもちろん、なにを作っているのか、いつまでに仕上げないといけないのかといったスケジュールが、これまで保王さんたちの頭の中にしかありませんでした。伝える必要がなかったので当然です。
しかし、スタッフが増えたことで共有したり伝えることが必要になったことで、生産スケジュールをボートに記載したり、機械の名称から使い方をメモして貼り出すなど、誰が見てもある程度のことが分かるように可視化されました。
さらに、これまでは家族だけであまり気にしていなかった、更衣室やトイレといった設備に関しても、働きやすいようにと改善にも取り組まれてきたそうです。
現在は、岩井さんご家族と、光恵さんの中学時代の同級生がパートで働かれていますが、ゆくゆくはまた人を雇って少しずつできることを増やしていきたいと考えられています。
「日の目は当たらないけど、とことん突き詰めていけたらと思っています。うちはたぶん従業員たくさん雇うのは性に合わない。でも、気が合う人が何人かいて、そういう人たちで一緒に開発していけたらいいかな」
これからも町工場の挑戦は続く
ここ数年、ものごとのシェアという概念が広がりつつあります。
シェアカーやシェアオフィスといった言葉は、とても身近なものになりました。そして、シェアファクトリーと呼ばれ工場までもシェアする時代になり、少しずつものづくりができる環境は増えているようにも感じます。
でも、岩井さんの工場にはそれよりもずっとずっと前から、まるでお隣さんとのお醤油の貸し借りのように、近所の方がふらっと機械や工具を借りにきてシェアをしていたそうです。そうした下町らしさ、墨田区ならではの繋がりも、この場所での再建にこだわられた理由の一つのように思います。
新しい次の一歩を踏み出すことは、とても勇気のいる決断です。でも、それをきっかけに大きく飛躍し、またたくさんの製品と想い出を作っていってほしいなと思います。
今回の取材で工場に伺った当日、こんな印象的なことがありました。
こんにちわ、と声をかけて工場に入ると、そこには汗だくになって掃除をする保王さんの姿。普段のままでいいですよ、とお伝えしていたにも関わらず、朝から一生懸命片付けをしてくださっていたそうで、最後まで工場への愛情と感謝の姿勢が、岩井さんたち『らしい』なと思いました。
82年という長い歴史を共に戦い抜いてこれた。その事実は、この工場を大事に大事に使ってきた、なによりの証だと思います。
企業名 | 有限会社 岩井金属金型製作所 |
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住所 | 〒131-0041 東京都墨田区八広1-4-3 |
TEL | 03-3611-5475 |
URL | http://iwaikinzoku.com/ |