2018.04.09(月)

ストレスのない自然本来の生地

川合染工場

海外の大量生産・大量消費の波に、日本のものづくりは押されてきた。しかし、そんな時代の陰で、日本らしい丁寧で繊細なものづくりを、今でもひたむきに続けている人たちがいます。

どんなに手間がかかっても、どんなに効率が悪くても、それでも良いものを届けたい。そこに、日本のものづくりが生き残っていく術が、きっとあると信じて。

株式会社 川合染工場

川合染工場

向島の住宅街に溶け込むように佇む工場が、1951年創業の『株式会社 川合染工場(かわいせんこうじょう)』です。

かつて東京都内には、100件以上の染色工場があり専門とする学校までがあるほどだった。だが、工場の数は減り続け今では10社を切るまでになり、技術を学べる学校もなくなってしまいました。今もなお、染色を行っている貴重な工場の一つがここです。

川合染工場の最盛期は、今から約30年前。長野にも2つの工場を抱え、イタリアにあるベネトンのセーターを一挙に請け負い、年間で90万枚近くを染色していました。しかし、今では10分の1にも満たないまでに縮小し、工場もこの墨田区のみとなってしまった。だが、他では実現できない技術と知識、そして良いものに徹底的にこだわったやり方は、有名なアパレルブランドからの絶大なる信頼を得ており、それは今でも揺るがない。

川合染工場

朝早くに工場を訪れると、既にたくさんの鉄窯から蒸気が上り、乾燥する真冬にも関わらず室内はとても暖かく湿度が高い。この分だと夏は、相当な暑さになることが容易に想像ができる。工場の朝はいつも早いそうで、種類や染める数によって使い分けられる大小さまざまなサイズの鉄の窯が、至るところで慌ただしく動いている。

奥に長い造りになった工場は、外観から想像するよりもはるかに広く、染め、脱水、そして乾燥までをここで行えるため、工場全体が大きな洗濯機のようです。

染工場としては決して大きなものではないが、東京都内でこうしたものづくりが今でも行われていることや、湯気が上がる幻想的な雰囲気には、初めて伺った時には思わず息を呑んでしまう。

川合染工場

染色業界が衰退してしまった大きな要因は、染めに限らず輸入に頼ってしまったことだと、代表を務める川合 創記男(そきお)さんは話します。

「日本の良いものは普通のシャツでも値が張りますが、それくらいでないと成り立ちません。だから、たくさん輸入物が入ってきて仕事が急に減ったんです。日本のアパレル業界は、戦後から始まり一気に伸びたので歴史がありません。だからビジョンが明確でなく産業を守ってきませんでした。安ければいいと海外で作らせて、輸入して売る。そういう風に走ったからこんな風になったのも、当然だと思います」

「もうどこも人手不足でギリギリです。昔は増えれば喜んでたけど、今は急に増えると間に合わず断らないといけない状態で、数量を増やすことができずどんどん減ってます」

墨田の染工場

川合染工場

川合さんは、大学卒業後に大手の化学メーカーに入社する。その後、染料で有名なドイツへ留学し最新の染色技術や加工技術を学び、帰国後に家業を継ぐ形でここへ入り、現場も担当してこられました。

しかし、海外の輸入物が97.5%という状況下において価格で戦うことは難しい。だったら、他がやっていない、日本らしい方法で差別化を図ろうと、これまでに培った技術や経験を使い、ここでしかできない特殊かつハイレベルなものづくりに挑戦してこられました。

その結果、今では染色技術が業界から高く評価されるまでになった。大手商社はもちろん、イッセイミヤケやコムデ・ギャルソン、ツモリチサトといった、数多くの有名ブランドを長年に渡って手がけられこられました。

そんな業界から引く手あまたの川合染工場には、この工場だけの特別な技法を持っています。昔の良い風合いを再現した『東炊き染(あずまだきぞめ)』と呼ばれる技法で作る生地は、世界中を探してもここでしか作ることができません。

「着やすいでしょ。それがウリですから着ていただくと良さが分かるんですよ。扱うメーカーさんは100くらいありますが、みなさんファンでリピーターになってくださいます。でも、作るのは大変なんです。一生懸命、手をかけて大事に染めるのであまり量ができないから、営利目的だけでどんどん売るようなところとは一切やらないんです。バンバン売られたらブランドは死んでしまうし、これまで育ててくれた人たちの想いも失われてしまいます。よくお考えになって良いものを作ってくださる、東炊き染をいいと思ってくれるお客さまにしか売っていません」

東炊き染は、職人が温度や湿度を調整しながら、小さな窯で少しずつ丁寧に染色し、天日で自然乾燥し仕上げていく。人手と手間が膨大にかかるが、優しい発色と天然繊維が本来持つ生地の膨らみや、自然な柔らかさを最大限に引き出すことができ、他にはないふんわりとした風合いが感じられる。

熱でシワを伸ばすといった負担をかけずストレスを極力減らしているため、洗濯をしても縮んだり伸びたりすることが少ない。まるで生きているかのような風合いと着ていくうちに体に馴染じむ生地は、じわじわと確実にファンを増やしている。

全国に広がりを見せる東炊きの歴史は、実はまだ5年ほどと思った以上に短い。取り組みを始めたきっかけを伺うと、東京都中央区東日本橋にある『小松和テキスタイル』という生地問屋の、現社長でその当時は部長であった、大塚さんの決して諦めない熱意が生み出したものだったそうです。

小松和テキスタイル株式会社

小松和テキスタイル
左が大塚社長、右から2番目が山田さん

当時、業績が芳しくなかった小松和テキスタイルで、大塚さんは昔の良い風合いが出る炊き込みという技法を再現するために、全国の20ほどの工場を自らの足で尋ね歩きました。手間のかかる加工を引き受けてくれる工場はなく、諦めかけた頃ようやく最後にたどり着いたのが、川合染工場だったそうです。

東炊き染を始めてからの5年でほんとにいろんなことがあったとしみじみ語る、社長の大塚さんと山田さんにお話を伺いました。

大塚さんは、この会社で5年ほど働いた後に一度退職、他の生地屋さんを転々としました。そして、約8年ほど前に再びこの会社に戻り、その当時から在籍していた山田さんと一緒に全国の工場を見て回ったそうです。

「生地問屋は、今までものを知らずに売っていたのが現状でした。何か違うことができないかと考え、山田と染工場さんや機屋さんに電話をして、会ってくださるところには会いに行きました。製品染めだけならやってくださるところもありましたが、それ以上がなかったんです。ぼくらは、温もりがあってそれが伝わる素材を作りたいと訴えかけてきましたが、クレームも多くなるし、手間暇かかって効率も悪いと断られてしまいました」

「どうしたらいいか困っていた時に、川合染工場さんと出会いました。最初にできた生地はぐちゃぐちゃでどうしようと思いましたが、それでも続けてくださって今があるんです。開発には一年以上かかり、実際できたところで売れるのか、結局は自分よがりなんじゃないかと不安になったりもして、諦めかけてた部分もあったんです。でも、もう信じるしかありませんでした」

小松和テキスタイル
小松和テキスタイルがカットを行い出荷される

東炊き染は、この世に存在しなかったものですが、最終的なイメージはあったのでしょうか?

「イメージはありました。ファストファッションなどものがありふれた時代なので、作っても安くないと売れません。ぼくらの強みは、在庫を持てる。染工場さんが近くにある。そして、どうやって染めているかをお客さんに伝えられて、そして困った時には染工場さんに直接相談ができる。共存共栄していくために、自分だけが悩むわけではなくて、パートナーができた感じなんです」

やはりここにしかできない技術も多いのでしょうか?

「機械は新品のものは買えますが、窯を扱える人はなかなかいないと思います。季節や気候が密接に関わっていて温度と湿度の管理が大事で、なにかあった時すぐに調整できるのも職人ならではの仕事です。古き良きものは使いづらいんですが、イコール昔ながらのやり方なので味も風合いも出ます」

「ぼくは、お客さまに『まず、川合社長と職人を見てください』「工場へ、川合社長に一緒に会いに行きましょう』といつも言ってまして、その方が活性化になりますし、一緒に行って工場の方に説明してもらうくらいの方がいいんじゃないかと思うんです。そういう風にした方が人間味もありますし」

唯一無二の生地

小松和テキスタイル

大塚さんが初めて工場を訪れた時のことを、川合さんに伺ってみます。

「ほんと一生懸命だったからね。断られて断られて、そして最後にうちに来たんです。こんなに手間がかかって儲からないものやってもしょうがないと思ったけど、閑散期の暇つぶしにやってみるかとやってみたら、暇つぶしじゃなくなっちゃいました(笑)だから、ここまで伸びると思ってなかったですね」

「だから東炊き染は、大塚さんじゃなかったらできてないですから。なにしろ一生懸命でぼくは大塚さんに惚れたんですよ。ほんとにいい人間で、彼を信用したからだめでもいいやと思ったし、なにより彼ならなんとかできると思って受けたんです」

実は、東炊き染を取り組むことに対して周囲は反対していた。しかし、川合さんは、周囲の声を押し切り大塚さんたちと一緒に一年がかりで完成させた。そして、改良を加えながら地道にこのブランドをここまで成長させてきました。

この結果、東炊き染は初年度と比べ、5年で2.5倍の量に増えた。やり方も難しければ、人手と手間もものすごくかかるこの加工は、たくさんやれば儲かるかというとそうではない。しかし、だからこそ他社が手を出さないため、どんどん需要は増えていったそうです。

「この世に存在しなかったからどんどん増えました。やっぱり着て良さが分かって買われるんです。どこもやらないので量が増えないので、オーダーいただいてから2~3ヶ月はかかります。でも、それでいいんですよ。流行になったら終わりですから、待ってもらえないところとはやりません」

どちらが欠けても実現しなかった
共存共栄の関係

川合染工場

東炊き染は、単に生地を作っただけでなく、二社の得意とする分野をうまく掛け合わせることで、生地がしっかりと流通するようになっている。つまり、ただ作るだけではなく、ちゃんと売ることまでが考えられていると川合さんは話します。

「普通、会社と会社だから利害関係がありますよね。でも、クレームがあったから買い取ってくれといったことを小松和さんから言われたことは、かつて一度もありません。東炊き染は、二社で一つのブランドですから。どちらかが損したり儲かったじゃ成り立ちません。お互いにカバーしないと育たないんです」

川合染工場には、営業職の方はいない。工場が営業をするのではなく、良いものを作れば仕事はやってくるという考えで、営業よりも技術力に力を注いでいる。そのためオリジナルでものを作ったりもせず、作ることを第一にして東炊きの染めを全て手がけている。

一方の小松和テキスタイルは、東炊き染をする生地の選定はもちろん、出来上がったもの販売や在庫管理を全て手がける。そのため認知されていない頃は、北海道から九州までいろいろな新規のお客さんとの出会いを求めて、大塚さんと山田さんは全国を営業をしてきた。そこで得たことを持ち帰って川合さんに伝え、改良も続けてきたそうです。

この二社のバランスがうまくマッチしていることも、この生地が成功した要因の一つだと言えそうです。

川合染工場

この5年間でできた東炊き染の生地は、80~90ほどにもなります。しかし、簡単にこれだけの生地ができたわけでは決してありません。その裏では、何度も何度も試作が繰り返され、数え切れないほどの失敗がありました。

「最初の半年くらいはめちゃくちゃですよ。ムラが出たり、シワになったりでいろいろと問題だらけでした。でも、どうしても育てたいって彼らが言うもんですからね」

「生地にはいろんなものがあり、全てが東炊き染の加工にマッチするとは限りません。年間で20素材くらいの試作をやり、その中でいけそうなものを定番品にしていきます。ただ、10点テストをして2点が採用されればいい方です」

たくさんの種類を作るというのは工場にとっては負担となり、納期が遅れてしまうこともある。ではなぜこれだけの種類を作るかというと、このぐらいないとお客さんに満足してもらえないのと、工場自体もうまく回らないというのが現実なんだそうです。

日本らしいものづくり

川合染工場

東炊き染の『東(あずま)』は東京の意味、そして『炊き』は炊き込み工程を指している。明治以前は、この炊き込み工程をして、良い風合いを出していたことから、川合さんが作った造語です。

「江戸時代までは、炊き込み工程をして良い風合いを出してまして、染めるのは大きな機械がなかったので、五右衛門風呂で染めてたんです。でも、最近は値段を下げてローコストで大量生産、大量消費に変わりました。そうじゃなくて、昔は良いものがいっぱいあったんだから、量が少なくなっても炊き込みの良い風合いを復元しようと作ったのが東炊き染です」

「それに、江戸時代の最初の織物は麻だったんです。昔は麻しかなかったから、東炊き染は麻とは相性が良いんですよ。特に風合いが良いものになりますよ」

川合染工場

東炊き染という加工は、他のものに比べてなぜ手間がかかるのでしょうか?

「単純に作ることが難しいんです。通常の染の工程は簡単です。最初から最後まで全部機械でできて、あとは絞って乾燥機に入れればそれで終わりです。それに対して、東炊き染は機械じゃできない工程が多く、手間もかかります。染以外の工程が全部が手作業なんです」

「でも、だからいいんです。やっぱりいいものというか、ないもの。ものづくりにはストーリーが大切なんです。みなさん見た目の華やかさの違いばかりを追っちゃいますが、もっと原点に立ち返って、手間がかかって採算性が悪くても良いものを、日本らしいものを出してみようよってのが東炊き染ですから。量もいかないですし、儲けも通常に比べたらぜんぜんですけど、それでも伸びているのはそういうことなんだと思うんですよ」

重要なのは、物語

川合染工場

川合染工場の技術、小松和テキスタイルの情熱。どちらが欠けても決してこの世に生まれることのなかった東炊き染。

熟練の技術と諦めない想いが掛け合わさってできた生地は、初めて見るのにどこか懐かしい優しい風合いをまとった、間違いなく唯一無二の生地です。たとえ非効率であったとしても、日本らしいものづくりにこだわることは、それ以上の価値がつまっているように思います。

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