2018.11.29(木)

伝統を楽しむ、屏風店 株式会社片岡屏風店

こちらの求人は募集が終了しました。
ご応募ありがとうございました。

片岡屏風店

ものづくり産業において、後継者不足の問題が叫ばれてから久しくなります。つくる人材や伝統を伝えていく人材は、まだまだ不足しているのが現状です。

しかし、近年の墨田区には若いものづくりの人材が徐々に増え、昔と今を上手に取り入れたものづくりの文化が醸成されてきているように思います。

現場に課題はあれど、ものづくりは決して廃れてはいません。

片岡屏風店

世界一の電波塔としてそびえ立ち、世界中から観光客が訪れている東京スカイツリー。その麓、とうきょうスカイツリー駅から徒歩1分ほどのところに、東京で唯一の屏風専門店があります。

屏風は、古き時代から風除けや空間の間仕切り、室内装飾など人々の暮らしになくてはならない調度品として使用されてきました。

次第に、屏風には絵が描かれるようになり鑑賞用の側面もある美しい装飾品としても広がりをみせました。その後、日本に西洋文化が入ってきたことで人々の生活様式にも変化が起き、日常的に用いられる機会が減少していきます。

伝統美と言える屏風は、現代ではお雛様や端午の節句、結婚式といった特別な時間を彩る、ハレの日に活躍するものという印象が強いかもしれません。

片岡屏風店

そんな中、より屏風を人々にとって身近にしていこうと、時代に合わせた屏風づくりに挑戦し続けているのが墨田区向島にある1946年創業の『片岡屏風店』です。

お節句やホテルの式場、装飾用などに使用される大小さまざまな屏風を手掛けています。

片岡屏風店の従業員は、パートさんも含め9名で、家族経営の会社。
2代目社長である片岡恭一さんをはじめ、4名の片岡家、そして正社員3名とパートさん2名の体制ですべて手作業で屏風製造にあたっています。

片岡屏風店

今、片岡屏風店では息子である孝斗(こうと)さんが、将来的には3代目として家業を継ぐ決意のもと、父である2代目の想いを日々受け止めながら、さまざまな試みをしていこうとしています。

どんなことにも、必ず基礎や基本があるからこそ応用ができるようになっていくものでしょう。片岡屏風店も『屏風づくり』の技術、そしてそれを伝承してきた歴史があるからこそ、新たな屏風の可能性に挑戦していくことができています。

今回は、そんな片岡屏風店で、主に雛人形や五月人形の節句用屏風の製造をしていただける方を募集します。また、事務作業や時には併設されているショールームでの接客、体験教室の講師など、屏風を伝える取り組みもお願いできる方を求めています。

2階建ての建物に入ってみると、少々控えめに見える外観の雰囲気とは異なり、1階のショール―ムには大小さまざまな屏風が並んでいて、店内の広さと屏風のバリエーションの豊かさに驚かされます。

片岡屏風店

まずは、2代目代表の片岡恭一さんにお話しを伺いました。
職人気質の生真面目な方かと思いきや、物腰が柔らかく笑顔が印象的です。

それまで自宅と工場として使っていた木造2階建ての建物の老朽化で建替えが必要となり、空間の活用を考えていたとき、外国人の方の一言がきっかけでショールームが誕生したのだそう。恭一さんが、当時を振り返ります。

「最初は工場を店の奥にして、入口側はどなたかが使えるスペースとして貸すことができないかと考えていました」

「ところが、店に来てくれた日本在住の外国人の方に言われたんです。『屏風は見せていかないと勿体ない。これからは屏風の良さをアピールするためにも見てもらえる場所をつくらないと』って。その一言で背中を押されて、平成3年にショールームをつくりました」

片岡屏風店

初代の頃は屏風専門店として、ひたすらお節句の屏風をつくることに専念しなければならないほど多忙だったことからも、つくる場所としての機能しかありませんでした。

しかし、時代の変化とともに屏風の需要も減ってきたことで、屏風を身近に捉えてもらえる取り組みの必要性が高まっていきました。そんなとき、ショールームが誕生したのです。

これを皮切りに、産業PRや地域活性化を目指して墨田区が主導で行う『すみだ3M運動』の中で、区の産業や文化に関する製品・道具・文献等のコレクションである小さな博物館(Museum)、工房と店舗の機能を備えた、製造と販売が一体化した工房ショップ(Manufacturing shop)、付加価値の高い製品を創る技術者であるマイスター(Meister)の3つに認定をされています。

区の認定を受けた反響もあり、多くのお客さまがショールームを訪れ屏風を見て、触れる機会を作り出すことが増えていきました。

そこから2代目の恭一さんは、これまで屏風店にはなかった残されたものをリメイクして屏風に仕立てるという粋な取り組みを始めます。

「家のタンスに眠っていて、着る機会がないけれど捨てられないという着物や帯があることを知って、屏風に仕立てれば処分という選択ではなく次の世代に残していく方法のひとつになると思ったんです」

「屏風は、木枠に和紙を張り付ける『表具(ひょうぐ)』なんです。つまり屏風の形も張り付ける内容も和紙だけにこだわる必要もないんですよね。屏風にはさまざまな表現をすることができる。だから、思い出の着物だったり、作品を屏風に仕立てられるという発想になりました」

片岡屏風店

代々各家庭に受け継がれている織物が活用の機会を失い、今では家の中で眠っていることも多いと聞きます。使われてきた着物や帯にはそれぞれ独特の風合いが刻まれています。それを埋没させずに、再び輝かせたのはまさに革新的です。

そして、2代目恭一さんの息子であり、次期3代目となる孝斗さんもまた、時代の流れをよみながら、新たな方法で屏風の魅力を伝え、広めていくことに注力しています。

学生時代は音楽をつくったり、音楽の趣味が高じてイベント企画をしたりと興味は音楽の世界にあったという孝斗さん。確かに、屏風店と聞いて多くの人がイメージするであろう厳かな雰囲気とは違って、髪を束ねていて若者の風貌が印象的です。

片岡屏風店

家業を継ぐという選択に至ったきっかけを教えてください。

「きっかけは、高校時代に1か月のアメリカ短期留学をしたことですね。そこで諸外国の学生たちが、それぞれ自国のことや他国のことも語れるのに対して、ぼくは日本のことを尋ねられてもうまく伝えることができず、悔しさを感じていたんです」

「帰国して改めて家業を見たとき、『屏風も日本の誇れる伝統だ』と気づかされて、継ぐことを決めました」

古くから受け継がれてきたものに“革新”の連続があることで伝統になっていきます。今まさに孝斗さんも、新たな挑戦で片岡屏風店を守り伝えていこうとしています。

片岡屏風店

今回新しい仲間を募集するに至ったのは、約10年働いてきた孝斗さんのお姉様が退職することになったから。10年の歳月をかけて培ってきた技術力はもちろん、事務作業などの内容を即座に習得して穴埋めするというのは、難しいかもしれません。

しかし、ものづくりの経験がない方でも問題なく屏風づくりをすることができます。毎日毎日、水や糊を水はけを使用して和紙を貼りつける作業を繰り返し経験していくことで、次第にできるようになっていくのだそうです。

まずは、じっくりと屏風づくりに集中するところから入り、そのうちに事務作業や体験教室の講師など、お任せする領域を増やしていこうと考えています。

「最初は、糊づけする箇所や屏風の折り方を間違えてしまったりということもありました。でも入社して1年目のぼくでも、経験値が上がってできるようになりました。基本的なレクチャーはありますが、まずはやってみるところからみな習得していっています」

片岡屏風店

屏風づくりでは、届いた木枠に不具合がないかケアをするところから始まります。

和紙や素材の「裁断」、「貼る」、木枠に貼られている羽根(和紙)を「組み合わせる」、縁の上につけていく「金具打ち」、「検品」といった工程を経て、出来上がります。1日1工程を基本としながら、約10日間ほどの時間をかけて製作されます。

「細やかな作業に対して、器用不器用というのはそれぞれあるかもしれませんが、技術的なところは次第にできるようになっていきます。それ以上に、率先して自ら動けることが大事で、そんな方と一緒に働けたら嬉しいと思っています」

孝斗さんは、3代目としての自覚を持ち、受け継がれてきた屏風づくりそのものを大切にしながら、ともに働く仲間を守っていこうと強い想いを持って動き出しています。

ホームページをリニューアルさせたのも、そのひとつ。孝斗さんの知人にも協力を仰ぎ、多言語対応のPR動画を制作したり、よりわかりやすい表記にしたりと、できることから積極的に取り組みました。結果として、作品を残す目的で写真家から製作の依頼や、これまで経験のない巨大な屏風づくりの依頼が届いたりと、ユニークな屏風づくりの問い合わせが増えました。

「マンパワーが足りないというのは正直なところで、その中で新しいことだけに注力するというよりは、今の現代にシフトしてできることから取り組んでいます。まずは、間口を広げるという意味で、ホームページをリニューアルしたんです。思ってもみなかったお問い合わせもあり、私たちもお客さまから屏風の可能性を気づかせてもらい、嬉しく思っています」

片岡屏風店

屏風店の2階には作業場のほか、最大50名もの団体の方たちを受け入れることができるスペースがあります。ここでは、パタンと折っていくと絵柄が変わる『からくり屏風づくり体験』ができる場所として、また時にはさまざまなジャンルの作家さんの展示スペースとして活用されているのだそう。

今度は、1階のショールームを活用した仕掛けをしていきたいと孝斗さんは言います。

「73年の歴史に誇りを持ちつつも、伝統だからいいという伝えかたではなく、受け手が『いいな』と思ったものが伝統であってほしいと思っています。まずは屏風を気に入っていただけるようにしていきたいです」

片岡屏風店には、2年前ともに屏風を伝えていく仲間が増えました。

孝斗さんにとっても初めての後輩といえる神戸(かんべ)さんは、なんと、墨田区の仕事を紹介している『すみだの仕事』、このサイトから応募して入社にいたりました。現在、日々屏風づくりをしながら、片岡屏風店の新たな取り組みにも積極的に関わっています。

片岡屏風店

「19歳から歌舞伎役者として活動していました。しかし師匠の坂東三津五郎さんが亡くなったことを機に、結婚してもうすぐ子供が誕生するというときでもあったので、役者の道を継続するか悩みましたが、子供と過ごす時間を大切にしたいと思い、非常にハードスケジュールであった役者の世界から退くことを選びました」

背筋がぴっと伸びていて、ゆっくりと丁寧に話す神戸さんは、誠実さが伝わってくる好青年。役者を辞めてからは、奥様が墨田区出身という縁もあり区内に引越してきて、職を探していたのだそう。

「10代から役者として生きてきたので、就職活動をしたことがなかったんです。だから自分には何ができるのだろうかと日々悩みながら、ハローワークなどで職を探していました」

「自分なりにしっくりとくる仕事に出会えずにいたときに、妻が『すみだの仕事で屏風屋さんが募集しているよ』と教えてくれたのがきっかけで、片岡屏風店を知りました」

昔から、ものづくりへの高い関心があったという神戸さんは、掲載されていた片岡屏風店のストーリーを読んで、墨田やものづくりへの縁を感じ、思い切って応募しました。

片岡屏風店

ものづくりの道へと進む原点は、幼少期にまで遡ります。

道具を与えられれば、時間を忘れて紙を切ったり、貼ったりと何かをつくることに没頭していたという、神戸さん。また、群馬県の実家にはよく近所の畳屋さんや植木屋さんが訪れることも多く、職人と触れているうちに『手に職があるのは、かっこいい』とものづくりへの憧れを抱いていたのだそうです。

「歌舞伎の世界でも、さまざまな道具が使われます。そこでも、ものをつくれるのはかっこいいなと思っていました。この会社の存在を知り、やってみたいと想いが再燃したんです」

片岡屏風店では、創業時から従業員同士それぞれ『ちゃん』づけで名前を呼び合っていて、お互いを尊敬しながらも親しみを持って接しているのがよくわかります。ひとつ屋根の下に暮らす家族のようなあたたかな雰囲気があります。

片岡屏風店

神戸さんも、名前が優作(ゆうさく)ということから『さくちゃん』と呼ばれています。屏風づくりを通して、今やりがいをもって仕事に励むことができているのだそう。

「任せてくれるというのは非常に嬉しいし、ありがたいと思っています。チームの一員として責任を持って働く意欲が湧きます。社長をはじめ、専務(孝斗さん)もアーティストや写真家さんとのコラボレーションなどで屏風の新たな可能性を模索していて、私からアイデアを出すと意見を汲み取ってくれるんです。立場を超えて自分を尊重してくれる環境があるのは、嬉しいですよね」

「もちろん技術的なところは、瞬時に成長できるものではないのでコツコツと経験の積み重ねが必要ですが、創作意欲が高い方たちが多いので、私も負けてはいられないなとか、面白いものを考えたいと思わせてくれる職場です」

少しはにかみながらも、嬉しそうに話す『さくちゃん』からは、誇りを持って屏風づくりができている様子が伺えます。

最後に、3代目の孝斗さんが新たな仲間を迎えるにあたっての想いを話してくださいました。

片岡屏風店

「入社後すぐに屏風づくりをしていきますが、未経験の方でももちろん心配いりません。まずはものづくりに興味がある方、そして新しいことにも積極的に挑戦し楽しもうとしてくださる方と一緒に仕事をしていきたいと思っています。それぞれの感性を大切にして、挑戦をしていきたいです」

片岡屏風店は、創業から73年もの間、時代の流れをよみ、常に柔軟な発想で屏風の魅力を引き出してきた屏風専門店です。屏風づくりを大切に丁寧に行いながら、屏風の新たな可能性を広げようとしています。

そんな老舗屏風専門店の想いに共感し、ともに挑戦をしていきたい方のご応募をお待ちしています。

その他の記事

PAGETOP