求む。鋳物職人 東日本金属株式会社
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「わー!」「すごい!」ひっそりとした住宅地の中にある鋳物工場は、今日も熱気と歓声に包まれる。鋳物という技術や文化を、若い人に広く知ってもらおうと積極的に工場見学を行っているのだ。
ここから生み出される難易度の高い製品は、機械では作れないものが多い。
これは、職人の日々の努力と長年の経験とそこで培われた勘と技術によって、大量に製品を作るのではなく数個から数百個の製品を、創業当時から変わらぬ手作業にこだわり一つずつ丁寧に作っているからできることだ。
東日本金属株式会社は、砂型鋳造という伝統的な技術を使い、多くの作業を手作業で行う。
大量に物が作れる時代だからこそ、機械には頼らず真似のできない仕事を大事に続けている。
「手間暇かけて活かされるような品物があっていいだろうし、そういう物を我々はやっていくべきで、数が出ないけどそういう時に鋳物という技術は要される仕事です。」
しかし一方で、体力的に厳しいこの仕事は、若い担い手も少なく技術をしっかりと引き継いでいけるかどうかが常に課題としてある。今では、熟練の職人さんでないと扱えない技やコツも増えてきている。
今回は、この技術を受け継ぐ、新たな『鋳物職人』を募集します。
墨田区立花にある東日本金属株式会社は、大正7年創業の鋳物専業メーカーで「鋳造」という昔ながらの加工方法で「鋳物」を作っている。
鉄・アルミ合金・銅・真鍮などの金属を、融点よりも高い温度で熱し、ドロドロの液体にした後、型に流し込み冷やして固める加工方法が「鋳造」と呼ばれ、固まってできたものが「鋳物」だ。
そこから作られる製品は、『密閉扉の締め付けハンドル』や『ドアの蝶番(ちょうつがい)』、『窓金具』。近年では復元が難しいと言われた『歴史的建造物』の金物の修復も手がけられている。
現会長の小林容三さんと四代目 小林亮太さんにお話を伺った。
今から14年前、当時70歳になった容三さんが現役で技術を伝えられる最後のタイミングで亮太さんが鋳物場に入り、今では鋳物場を主導している。
その当時のことを、容三さんはこんな風に話す。
「鋳造部門はやめるつもりでいました。それが、亮太が入って継いでくれたので、ここまで続けてこられました。」
「私はね、もうこの仕事をやる人なんていないんじゃないかって自分勝手に考えてたんだけど、若い人が入ってくれてそうでもないんだなって。ただね、一生懸命作業してそれを生きがいにできるか、満足できるような待遇を我々がし続けていけるか、というのが難しい問題だなと感じています。」
ここ数年、その技術に惚れ込み、鋳物場の門を叩く若い人が増え始めているが、体力的にも精神的にも厳しい仕事で、一瞬の気の緩みが大怪我に繋がることだってある。
「鋳物場は、環境的な部分できついと思います。夏の最初の年は、たぶん相当苦労すると思いますし、腰を痛める方も多いです。」
一人前に仕事ができるようになるまでには、早くても3~4年。
ある程度の覚悟が必要な世界だ。
『鋳物場』で働く、小笠原さんにもお話を伺う。
ここに入ってちょうど7年、未経験からの挑戦だったそうだ。
ここで働くきっかけは?
「以前は、足立区で溶接機を作るメーカーで16年ほど働いていました。そこを辞めて半年くらい職を探していました。製造系はもう辞めようかなって思ってた時に、墨田区が開催した合同面接会に参加したのがこの会社との出会いです。」
「鋳物自体は知ってはいましたけど、まさか23区内で鋳造をやってる会社があるとは知らなくて、面接で初めて見せてもらってびっくりしたのを今でも覚えています。そこから一度は諦めかけていましたが、やっぱりモノづくりをやりたいって思いました。」
これまでもモノづくりの仕事をしていたとは言え、未経験からで不安や苦労はなかったんだろうか。
「下積みの頃は、品物の良品と不良品を見分けるのに苦労しました。どこかがかけてれば見た目で分かるんですけど、教えてもらわないと分からないようなものも多いんです。」
「あとは、肉体的なものはあるかな。今はもう慣れましたが、最初は苦労というかきつかったですね。夏はものすごく暑くて、冬はものすごく寒い。その環境下で品物によっては10kg近くにある重たい物を、何十回と運んだりしますから。」
技術的な面では?
「流し込む材料によって勢いがあるんです。その加減で品物が形にならなかったりして、ほんと難しいですね。体の違いも力の違いもあるので、それはもう自分で加減を覚えて、経験を積むしかないですよね。ただ、その分やりがいも大きいですね。」
小笠原さんが入社してから技術的なことは亮太さんから教えてもらい、ようやく4年目で少しづつ鋳物場を任せてもらえるようになったそうだ。
「とにかく仕事に情熱持ってて熱い方で、入った時もみっちり教えてもらってすごく分かりやすかったです。本格的に僕が込め台に入ったのは4年目くらいからで、流し込みは一昨年から任せてもらいましたが、ほんと失敗ばかりです。」
近年、工場見学ツアーなど一般の方が工場へ来る機会が増えている。
来られる方の対応もする小笠原さんは、それについてどう感じているんだろう。
「これまで関わることがなかった方とお話しできる機会でもあるので、楽しいですね。ただ、鋳造って一般の方は分からない世界だと思うので、社長や亮太さんが説明している内容を普段から聞いておいて、自分なりにかみ砕いて分かりやすく説明できるように心がけています。」
今までは自分の経験や勘でやっていた職人さんも、一般の方に説明するために改めて自分の技術を見返す良いきっかけになっているそう。その結果、工場に訪れた方から『こんな商品作れませんか?』といった相談を受けることも少なくないんだとか。
東日本金属は、元々建築金物等の鋳物制作で創業しているが、昭和36年頃より鋳造から組み立てまで一貫した金物メーカーとなる。
一般的な鋳物屋というのは、鋳造によって鋳物を作りだすことができても、最終的な製品まで仕上げるノウハウを持っていないところが多い。しかし、ここでは鋳物場の隣に併設された加工場で、鋳物を最終的な製品に仕上げることができることも強みの一つだ。
そんな加工場を担当する、石川さんにもお話を伺う。
石川さんは、すみだの仕事から昨年入社し、墨田区へ移り住んできた。
入る前と入った後、印象は違いましたか?
「記事とギャップがぜんぜんなくて、面接の時に全部正直に言ってくださって。だから、もっときつくて容赦ないと覚悟していたんですけど、アットホームでぜんぜん楽しいです(笑)もちろん、楽しいばかりじゃないですけど、こんな風に加工するんだって驚きと発見が毎日あります。」
彫金関係の専門学校に通っていて、石膏型の鋳造には馴染みがあったそうだが、卒業後は全く別の仕事をしていた。ここで働くきっかけはなんだったのか伺ってみる。
「飲食店で働きながら、真珠を販売する展示会のお手伝いをしたりしていた時に、作家さんだったりデザイナーさんとダイレクトでお話しできる機会があって、もう一回モノづくりをやりたいと思いました。」
ここを選んだ決め手は?
「金属加工をやりたい!モノづくりをしたい!ってのが一番ですけど、同じくらいに砂型鋳造という昔からの技法を残し、それを今でもやっている会社から始まった加工場というところに、ものすごい惹かれました。」
「それに、金属に限らず伝統工芸の職人さんがどんどん引退して受け継ぐ人がいなくてなくなってきてしまっている中で、残してるってのはすごいことだなと。それのお手伝いをできるんだったら、ぜひやりたいと思いました。」
ここで働く魅力は?
「鋳物場の人と相談することも多くて、間近で歴史を感じられるのは、鋳物の工場と加工が横にあるからならではなのかなって。」
「それと、ここに入って町工場のイメージが変わりました。職人さんって頑固で偏屈で無口でみたいな勝手なイメージがあったんですけど、ぜんぜん気さくで楽しい方ばかり。ほんとに純粋にモノづくりが好きで、楽しんでやってる方が多いです。」
石川さんは今後どんな風になっていきたいですか?
「この加工だったら誰にも負けないってものを何か一つでも持てるようになりたいです。何十年かかるか分からないですけど、これだったら任せておけ!みたいな。そのためには一生修行かな。」
鋳物場で働く職人さんは、現在3人。
ここがきっちり平均的に回るようにするためには最低でも4人が必要だが、今働いている職人さんの高齢化もあって、新たな人材確保が急務となっている。
「今、熟練工が一人いて、その後世を見据えた体制を整えていかないといけません。ある一定の能力が必要なので、技術を継ぐというよりは作業能力を継げる方。若い方だとムラが多いので、これをお願いしますって言って任せられるようになるかどうかですね。だから、正直言って熱意だけでどうにかなるという世界でもありません。」
「今いる熟練の方が辞める時に、大丈夫かなって心配されながらというのは嫌なので、それまでにちゃんと引き継いで次に繋げていきたいと思っています。」
外部にお願いしている作業も多く、今では40以上の協力工場を抱えている。
そのため、この職人さんがいないとできない、この協力工場がなくなると作れないといった製品がいくつもあり、既にそういう商品にぶつかることも多いんだそうだ。
「うちは協力工場さんがあってこそ。でも、協力工場さんの年齢も上がっていて後継者がいないところも多いです。そういったところを引き継がないといけないし、新しいところを探さないといけません。その中でうちの要求するものを理解してもらうように働きかけていくのも必要です。」
鋳物場で、求める人材は?
「元気でやる気があって根気がある人ですね。体が覚えるまではきついと思いますし、最初の頃は経験のあるなしに関わらず覚えるための雑用的な仕事が多いんで、とにかく根気がないとこの仕事は厳しいです。」
体力と根気。そして、向上心。
「技術的な面で言うと、ある程度のところまでは教えてもらいながらで丁寧にやっていけば、できるようになっていくと思います。」
「そこから作れる数を増やしたり、難しいものをやったりして、次のステップに進んでいきます。ただ、ステップアップは本人の意識によって個人個人で差が出て来るので、貪欲にやって欲しいですね。」
加工場の石川さんにも聞いてみる。
「ガッツもですが、研究好きでモノづくりが好きというのも必要だと思います。やらされてる感で研究してると、この世界ってやりきれないところがたくさんあるので、何でも興味を持って熱心にみんなと一緒に楽しめる方だと、苦にならずにできると思います。」
「それに砂型鋳造は、調合の具合や砂の加減だったりで、原因が分かりにくくに職人の勘というところが大きいので、ほんとにストイックにできる方でないと厳しいかなと思います。」
最後に、容三さんと亮太さんに、この業界の行く先を聞いてみました。
「この技術だけは繋げていかないといけません。拡大するのではなくこの技術の中でやれる仕事、特徴を活かせる仕事というのを、どう開発していくかが大きな課題だと思います。その中で新しい分野を見つけていく必要があると感じています。」
しかしながらここ数年で東日本金属は、若い人材の積極的な採用、これまで一般の方にほとんど見られることがなかった工場見学、そしてデザイナーさんとの協同開発にもチャレンジしてきた。
鋳物職人の新たな挑戦は、もう始まっているのかもしれない。